上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.09.13


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道端、電車の中、芝の上、僕らは
いつもキャディバッグを担いでいた

 ぼくたち新宿の少年ゴルファーたちの夏は、いつでも過酷だった。

 移動は自転車、もしくは徒歩である。飛行機はもちろん、自動車もタクシーも使えない少年時代だ。畢竟、歩きが行動の基本になる。

 練習場も、ゴルフも当然だ。とくに日の長い夏の日のゴルフは、太陽との戦いとなる。

 朝、家を飛び出し、決して軽くないキャディバッグを抱え、高田馬場駅に着くころにはすでに、額から汗が吹き出ていたものだった。

 その汗を拭うこともなく僕たちは電車に乗り込む。早朝とはいえ平日だ。夏休み中の中学生以外は、会社に向かうスーツ姿のサラリーマンで車内は混雑し始めている。

 明らかに歓迎されない視線の中、僕たちは汗を垂らしながら、ゴルフ談義に花を咲かせる。赤羽駅にクラブバスは来ていない。そう、まだその時刻までは時間がありすぎるのだ。

 わずか数分も待てない僕たちは、重いキャディバッグを背負って赤羽ゴルフ場を目指して歩き出す。クラブまでは長い道のりだったが、当時はまだ浮間舟渡の駅も存在しなかった時代、そうする以外なかったのだ。

 そもそもタクシーという選択肢はない。だから、僕らはいつでも歩くという試練を自分たちに課したものだった。

 強行軍はゴルフ場でも続いた。スルーで18ホールを回ると、サンドウィッチを頬張り、次の18ホールに向かう。すでに家を出てから、軽く10キロメートル以上は歩いている。しかも、キャディバッグはずっとその肩に食い込んだままだ。

「オレはカートを使うよ」

 ただ一人、イワオだけは手引きカートを300円で借りていた。そう、彼だけが極端に経済的に余裕があったのだ。

 たった300円とはいえ、それは当時のぼくらにとっては、羨望の贅沢に映った。いや、実は、ゴルフはバッグを担いでラウンドするものだという先入観に染まり、一種の誇りのようなものを感じて、僕らはキャディバッグを担ぎ続けていたのかもしれない。

 いずれにしろ、夏の太陽の下を歩き続けることが、いまなお残る僕らのゴルフの心象風景になっている。

「水飲み場、まだだっけ?」

 赤羽ゴルフ場では、数ホールに一回、タンクに入った水飲み場があった。それはオアシスであり、レイオブホープ、希望の光でもあった。

 僕たちは、チェーンに着いたコップを蛇口の下に置くようなまどろっこしいことはしない。みな、タンクの前で大きく脚を開き、体を大きくねじって、蛇口の下に顔を持っていく。そして空を見上げながら、口の中にそのまま水を注ぎ込むのだった。

 全員が飲み終わった後も儀式は続く。今度は後頭部に蛇口の下にもって行き、頚椎が冷えるまで流水を当て続けるのだ。

 それでも数ホールも歩けば、渇きは再来する。その暑さに耐えながら、真夏の太陽が、西の空に早く傾くことを祈り祈り、僕らは芝の上を歩き続けるのだ。

 もはや難行苦行以外の何ものでもない。だが、実はそれこそ、僕らの目指すゴルフの現実に他ならない。そうした厳しさに触れることこそ、無上の喜びを感じたものであった。

 北海道では、朝夕には涼風が吹いている。厳しい冬の足音は、秋の気配とともに、確実に近づいている。

 じき、北の大地でのゴルフは終幕を迎えるだろう。次の春が来るまで、愉快な時間は雪の下に閉じ込められるのだ。

 道民は、ゴルフのない秋を迎えにゆくのだ。星空にベント芝の香りが流れては消えていくのだ。

 では、また、来週。

[ 第66回 終わり ]


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