上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.07.22


【第59回】
ビートルズが(新宿に)やってきた!?

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(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆は、ゴルフに夢中な青春を過ごしていた。中学3年のある日、スーパーマーケット「サンコー」横の空き地を勝手にゴルフ場に見立てた「サンコーCC」を舞台に、少年たちはダブルス戦を企画する。次々に強豪チームが結成されるなか、大穴と見られた不良チーム「コバ」と「ムーチン」のふたりによる『史上最悪・最低のチーム』が快進撃を開始する。

ノーマン、カプルス、セベ……、
夢のダブルスマッチが始まる。

 ゴルフほど精神的にストイックなスポーツはない。

 多くのゴルファーが1ラウンドするたびに少なくとも72回以上の「夢」を見る。ところが、その夢が実現することはめったにない。

 そう、グリーン上での願うショットの半分の「夢」は、ため息とともに消えるものであり、フェアウェイで願う残り半分の夢のほとんどは「悪夢」であると相場が決まっているのだ。

 そうした苦行に耐え、たまに一度くらい「夢」が叶うこともある。だが、その夢も長くは続かない。連続で起こることはめったになく、すぐに現実に引き戻されるのが関の山なのだ。

 コバとムーチンによる「史上最低最悪のチーム」が結成されたとき、僕たちの誰もが、彼らが初戦の相手になることを願った。この二人の凶暴さはつとに有名であったが、同時にまたその性質がまったくゴルフに向かないことも了解していたからだ。

 コバとムーチンが、サンコーCCで始まろうとしているダブルスマッチにエントリーした瞬間、誰もが二回戦には進めず、次の週には姿を消していると確信していた。それほど彼らの評価は低かったし、実際、ひどいゴルファーだったのだ。

「おまえらみてろよ、絶対に叩きのめしてやる」

 ムーチンがこういえば、コバも呼応する。

「ばーか、ゴルフなんて技術じゃないんだよ、気合だよ、気合!」

 二人は、完全にゴルフがなんであるかを勘違いしていた。それは、このトーナメントの始まる直前、各自につけられたニックネームからもうかがえるのであった。

 イワオには、当時最強のゴルファーといわれていた「グレッグ・ノーマン」のあだながついた。大ちゃんは当時USPGAで勝利を重ね、その柔軟なスウィングに定評のあった「フレッド・カプルス」の称号が与えられた。まさしく、ノーマンとカプルスという夢のチームが誕生したわけである。

 私は当然ながら「セベ・バレステロス」だった。すでに中学3年のこの頃には、私は一人のスペイン人になりきっていたのだ。パートナーのヨデブは「ラニー・ワドキンス」だった。理由はフィニッシュが似ている、それだけであった。

 鈴っちゃんは箱根山CCでの戦いから一貫して「ベルンハルト・ランガー」というニックネームが付いていた。熱狂的なファン、理由はそれだけである。エテパンはプレショットルーティンとワッグルが似ているという理由だけで「イアン・ウーズナム」と呼ばれていた。

 どこから見てもサンディ・ライルのような風貌のコミは当然に「サンディ・ライル」であった。ユージはメガネをかけているというただそれだけの理由だけで「デビッド・イシイ」だったような気がする。アンドーはハンサムな顔つきから「カーティス・ストレンジ」か「ラリー・ネルソン」のどちらかだったはずだ。

 いずれにしろ、こうして世界のトッププロたちがなぜか東京の新宿に毎朝集まって、夢のダブルスマッチを開くことになったのだ。


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