上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.07.05


【第57回】
30年目の、「聖地」再訪。

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(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆は、ゴルフに夢中な青春を過ごしていた。「ヨデブ」「鈴っちゃん」「大ちゃん」「イワオ」といった友人たちと、新宿・戸山公園をコースに見立てた「箱根山CC」で、また「新宿パターGC」「サンコーCC」といった、“自作”のゴルフ場で、勉強を放り投げて白球を追う日々。6月のある日、上杉はそんな青春を過ごしたある場所を訪れた――。

大都会の真ん中の箱根山CCには、
多くの危険が潜んでいた……。

 約30年ぶりに訪れたその場所は、予想以上に姿を変えていた。

 懐かしい場所であるにもかかわらず、深い郷愁の念は沸かない。なぜだろう。そう、きっと、どこか見知らぬ土地にやってきたような感覚に捉われているに違いない。

 箱根山カントリークラブは、私たち少年ゴルファーの最初のホームコースだった。そこは新宿のど真ん中にあるにもかかわらず、当時は、決して安全な場所にあるとは言い難かった。

 高層ビルを臨む戸山公園の北端、早稲田大学文学部に隣接したその土地は、新宿区において、最後まで開発から取り残された場所であった。時はバブル経済の始まる直前、時代は、私たち少年ゴルファーにとってうってつけの空間を与えてくれたのだった。

 広場の朽ちかけたベンチには、「ルンペン」と呼ばれていた浮浪者たちがそれぞれ陣取り、近所の住民ですら、その場所に容易に近づくことを許さなかった。それは、私たちにゴルファーにとっては好都合であった。

 さらに日が暮れると、箱根山カントリークラブは妖しさを増した。

 どこからか歩いてくるカップルたちだろうか、清潔とは言いがたい茂みの中に進んで入っていく姿を、私たち中学生は何度も目撃することになった。そして、翌朝には昨日男女が過ごした場所の周辺には、ティッシュや使用済みの避妊具が落ちているのを確認するのだった。

 たとえ聖地が性地になろうと、それはそれでまた、私たちの少年ゴルファーにとっては好都合であった。なにしろ、たまに見回りにやってくる警官たちですら、その多くは素通りするだけであったのだ。

 危険は別にもあった。広場は、夜、いや日中でも、怪しげな大人たち、――それは大抵、剃り上がった左右の額と細い眉、パンチパーマに白いエナメルの靴とベルトといういでたちの者が多かったのだが――、そうした者たちが「重要な取引」をする場所でもあったのだ。

 こうした数々の危険な理由をもってしても、箱根山カントリークラブは、私たちにとって、愛すべきゴルフの聖地であった。

 そもそも、広場周辺で、最大の危険は「鉄製の凶器」を振り回し、「白い弾丸」を飛ばしている私たち自身であった。おそらく、近隣住民からすれば、私たちこそ、浮浪者やヤクザよりもずっと危険な存在だったかもしれない。

「じゃ、次のホールはここからね」

 箱根山カントリークラブでは、前のホールの勝者が次のティグラウンドを指定することができる。

 いや、ティグラウンドなどというものは存在しない。単に、公園のどこでもいいから、ボールを置く場所を選定すればいいのだ。換言すれば、自分自身に有利なホールを造ることができるのである。


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