上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.06.28


【第56回】
「グリーン」を制する者が、新宿の夜を制する。

56img01b
(前回のあらすじ)
ジャーナリスト・上杉隆は、中学・高校・大学時代を通じて、ゴルフに夢中な青春を過ごしていた。中学・高校では「大ちゃん」「イワオ」といった友人たちと、大学では自ら立ち上げたゴルフ同好会の仲間たちと、勉強を放り投げて白球を追う日々――。これは、彼と彼の仲間たちを中心とした、青春ゴルフノンフィクションだ!

1984年全英オープンのセベのパットに
僕たちは魅せられた……。

 グリーンを制する者こそ試合を制する。それはゴルフが競技として発展して以来の変わらぬ鉄則であった。

 わずか30センチのパットを外して涙を呑むこともあれば、15メートルのパットを沈めて逆転勝利をつかむこともある。

 パッティングこそ、強いゴルファーにとって必須の武器である。とくにメジャートーナメントではグリーンでの戦いが勝敗を分ける。

 1984年の全英オープン最終日、セントアンドリュースオールドコースの18番グリーンで、われらがセベ・バレステロスの魅せたパットは、少年たちを大いに酔わせた。

 全英オープンの翌週までには、少年たちのキャディバッグには一様にピン・アンサー2が入っていたものだった。さらに、揃いもそろって少しトウを浮かせるあの独特のパッティングスタイルに改造されていたのだった。

 リンクスのあの強い風のなかで、セベのパッティングは無敵のように思われた。ならば、学ばない手はない。私たちは自分たちのリンクスを目指したものだった。

 ゴルフの練習場に飢えていた私たち新宿の少年ゴルファーたちにとって、住友三角ビル下の新宿パターGCはまさしく聖地リンクスであった。

 新宿パターでの戦いはシビアである。缶ジュース一本をめぐって、少年たちは日夜、熾烈な戦いを繰り広げた。

 文字通り日夜である。明るい昼間だけではなく、深夜、高層ビルの明かりを頼りに戦いが繰り広がられた。とりわけ夏には、夜、トーナメントが開かれることが多かった。

 新宿パターのラインは目に見えない部分が多い。人工芝特有の微妙なアンジュレーションは計算外の結果を突きつけたものだ。それは日が暮れてくるとなおさらであった。

 とくに切れ目が問題だった。天然芝のグリーンには絶対にない人工芝の切れ目は、急激な角度でボールを方向転換させることが少なくなかった。予想外のボールの転がりに、私たちは戸惑い、そして苦しんだものだ。

「あー、戻ってきちゃった」

 人工的に造られたマウンドの淵に切られたカップに向けて、バーディを狙う。だが、少しだけ強さの足りなかったボールは、カップ直前で急カーブすると、あらぬ方向に加速してしまう。新宿パターはそんな難グリーンであったのだ。

 夏の夜、高層ビルを吹き抜ける風は心地よい。都内有数のオフィス街・西新宿の夜には、昼間の喧騒はない。代わりに少年たちの歓声だけがステンレスの高層ビルの壁に反響するだけだ。

 壁の前の仄かな街灯の明かりが、人工芝の上の少年たちを照らし、長い影を作っている。人工芝の切れ目はほとんど見えない。だが、少年たちは知っている。すでにホームコースと化しているここ新宿パターでは、どこに特異なアンジュレーションが存在することを。

「あー、あれはOBになるぞ!」

 エテパンの打ったボールは、狙い目よりもやや左に向かった。案の定、マウンドの傾斜で勢いよく方向を変えると、ステンレスの枠を超えて、確かにOBゾーンへと消えていってしまった。

「あー!」

 エテパンがパターを人工芝に叩きつける。だが、ボールはさらに煉瓦の地面を転がり、ベンチの下にある排水溝の方へと向かっていくのだった。


次ページへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

運営会社 | プライバシーポリシー