上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.06.01


【第52回】
一万通りの技術を持った男

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(前回のあらすじ)
ジャーナリスト・上杉隆は、中学・高校・大学時代を通じて、ゴルフに夢中な青春を過ごしていた。中学・高校では「大ちゃん」「イワオ」「鈴っちゃん」「コミ」といった友人たちと、大学では自ら立ち上げたゴルフ同好会の仲間たちと、勉強を放り投げて白球を追う日々――。それから時は流れ、2011年5月7日、少年時代のヒーロー、セベ・バレステロス死去の報を聞いた上杉の脳裏に、少年時代の思い出が甦る――。

セベの登場で、ゴルフ界の
勢力図は大きく変わった。

 セベ・バレステロスを抜きにして、ヨーロッパのゴルフは語れない。

 とりわけ80年代からの欧州勢の台頭は、セベの登場と見事に重なる。そう、なにしろセベこそが、先陣を切って欧州ゴルフ界の一時代を築いたゴルファーに他ならないからである。

 それまでの欧州勢は、ライダーカップやメジャートーナメントでずっと米国勢の後塵を拝してきた。

 ボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガン、バイロン・ネルソン、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、トム・ワトソンなどの強豪の前に立ち塞がるようなゴルファーは大西洋の東側には現れなかったのだ。

 それゆえに、日本の少年たちの間でも、米国人ゴルファーの人気が高かったようだ。米国人以外で知られたゴルファーといえば、ゲーリー・プレーヤーくらいしか思いつかなかったのであった。

 ところが、欧州勢が実力でも人気でも息を吹き返すようになったのは明らかにセベの登場による。

 1977年からの日本オープン連覇を始め、海外で勝ち始めると、1979年には全英オープン初制覇、さらには翌年のマスターズトーナメントで優勝し、一気にスターダムに伸し上がった。

 とくに、日本オープンやダンロップ・フェニックスで何度も勝った日本では、セベの人気は高かった。後のことになるが、サッポロ黒ラベルのCMに登場し、テレビ画面から笑顔で語りかけるセベを見て、私は心を震わせた。

 セベが飲むのなら間違いない。意味もなく、味もわからず、当時働いていた渋谷の居酒屋で、私は黒ラベルばかり客に薦めていた。

 東洋のハズレでも、それほどまでにセベの人気は圧倒的だった。そもそも、外国人ゴルファーが日本のビールのCMに出演するなど、セベ以外には考えられなかった。

 そのセベが築いた欧州ゴルフ界の一時代を、新宿の少年ゴルファーたちも共に歩むことになる。

 ドイツのベルンハルト・ランガー、スコットランドのサンディ・ライル、豪州ではあるがグレッグ・ノーマンなど、セベの登場に触発されるように、世界各国から集まったスターたちの戦いに、私たち少年ゴルファーは歓喜したものだった。

 そして、多感な時期を生きる少年たちの習性として、そうしたヒーローたちへの自己投影がはじまった。


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