上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.05.10


【第49回】
グラシアス、そしてアディオス。セベ!

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(前回のあらすじ)
※今週の「前略、芝の上から」は、セベ・バレステロス氏逝去にともない、内容を変更してお送りします。なお、本連載の主人公である上杉隆をはじめとした、かつての少年ゴルファーたちに多大な影響を与えた不世出のゴルファー、バレステロス氏に深い哀悼の意を捧げます。合掌。

歩き方からファッションまで、
セベが私の生活を支配していた。

 ちょうどセカンドショットを打つ直前のことだった。

「あなたの大好きなセベが死んだよ」

 5月7日、セベリアーノ・バレステロスの訃報は、こうして携帯メールによって私の元に届けられた。

 セベが死んだ……。

 その日の朝、軽井沢で一緒にラウンドする中井学プロから、セベの容態が深刻なことを聞かされていた私は、その日のゴルフを彼の回復のためのラウンドにする、と宣言していたばかりだった。

 ドライバーからパターまですべてセベの真似でプレーしよう。大股でフェアウェイを闊歩する様子ももちろんセベの真似だ。パッティングでバーディを奪ったらもちろんガッツポーズである。トラブルショットは大歓迎だ。どこからでもピンをデッドに狙っていこう――。

 東洋の片隅で会ったこともないアマチュアゴルファーからそんなことを宣言されても、病床のセベにはまったく無意味であることはわかっていた。だが、なにかそれが、セベに奇跡の回復をもたらす祈祷になるような気がしてならなかったのだ。

 セベの存在がなければ、現在、私がゴルフをしていることは決してなかったであろう。それは私に限らない。アラフォー世代のゴルファーたちにとって、セベはまちがいなくゴルフ史上最高のスターだった。

「小学生のとき、全英オープンでのセベの優勝シーンに感動して、ゴルフを始めたんです」

 一緒にラウンドしていた中井プロも、セベの訃報に際してこう吐露した。

 1983年、マスターズでの二度目の優勝は、当時、中学生だった私のゴルフ熱にさらに火をつけた。

「必ずセベのようなゴルファーになる」

 そう心に誓ったのは私のみではない。ともに、新宿のど真ん中で草ゴルフを続けていた少年ゴルファーたちも同様の夢をもっていた。

 1984年夏、セント・アンドリュースでの全英オープンの18番ホールで逆転優勝を決めると、そのスペイン人は私の中で完全に神格化された。

 セベはもはやゴルフだけに留まらない。歩き方からファッションまで、彼は完全に私の生活を支配し始めた。

 広尾と渋谷と代官山の中間点にあるおしゃれな高校の学生であるにも関わらず、紺色のスラックスと紺色のセーターが私のユニフォームになった。

 ガールフレンドと恋を語りながらゆっくりと下校することなどまったく了としない。ズボンが裂けるほどの大股で、ひとり渋谷のバイト先まで闊歩するのが日課となった。

 ゴルフ場では、ボールを曲げても下を向くことはない。飛び込んでいったブッシュに向かって、笑みを浮かべながら歩き、どうやってリカバリーしてやろうか、と逆に妄想を廻らすのだった。

 その姿はきっと不気味だったにちがいない。だが、セベになりきっている私に、そんな客観的な心が宿ろうはずもない。むしろトラブルを求めて強打し、ボールが困難な場所に転がれば転がるほど、熱く燃えるゴルファーに成長していったのだった。

「お、セベ!」

 その年、セベの全英オープンの優勝からしばらく経つと、私は校内でこう呼ばれるようになっていた。まったくゴルフに関心のない都立広尾高校の学生までセベの存在は広がっていったのだ。

 もちろん、それは、ほとんど100%、あるひとりの熱狂的な信者の力によってであったが……。


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