上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.03.02


【第44回】
「ゲームをあきらめてはいけない」

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(前回のあらすじ)
1980年代、ゴルフに夢中な少年時代を過ごしたジャーナリスト・上杉隆は、高校卒業後、山梨県の都留文科大学に進学する。入学後、大学にゴルフ部がなかったことからゴルフができる環境作りに奔走し、ゴルフ同好会を結成する。そんな上杉はある日、ドライブで通りがかった山中湖ホテルのパターコースの芝生の美しさに魅せられ、「ここで働かせてくれ」と、譲原尚行支配人に飛び込みで直談判をはじめた――。

僕の直談判に支配人は言った。
「学生の遊びなら大学でやってくれ」

 山中湖ホテルの支配人室に入った私は緊張していた。なにしろ、そんな高級ホテルに足を踏み入れたこともなければ、泊まったこともない。

 だいたい「支配人」という肩書きの人物にあったのも生まれて初めてのことだった。

「ゴルフをやりたいのならば条件がある。まずはいろいろな仕事をやってもらわなければならないし、なにしろ最初は仮採用だ。そこから働き振りをみて雇うかどうかは決めていく――」

 すっかり従業員としての面接だと思い込んでいたのだろう。働くのではなく、ゴルフをやりたいと切り出している人物が、まさか大学生だとは思っていなかったようだ。

「あの~、ぼく、まだ大学生なんです」

「そうか。卒業はいつだ?」

 どうも、就職の飛び込み面接だと思っているようだ。戸惑いながらも、私は正直に告白した。

「まだ、一年生です」

 この言葉を聴いて、さすがに譲原支配人もすべてを察したようだった。半ば呆れ顔でこう続けたのだった。

「そんな虫のいい話がありますか? こっちは商売でやってるんですよ。学生の遊びのゴルフなら大学のゴルフ部でやってくれ」

 それはそうだ、と内心思いながらも、ここまできたら引き下がるわけにはいかない。男が、いやゴルファーが廃る。

 なにしろ、どんな場面に遭遇しようと、決してゲームをあきらめてはいけないと、高校時代に読んだジャック・ニクラスの本にも書いてあったではないか。

「大学にはゴルフ部はありません。真剣にゴルフをやっています。芝刈りでも、雑草抜きでも、ボール拾いでもなんでもやります。よろしくお願いします」

 支配人室は静かである。座っている椅子から立ち上がって、私はもう一度頭を下げてみた。

「ダメだ、ダメだ。うち(富士屋ホテル)はアルバイトは一切採らないんだ。しかも、学生アルバイトなんて、とんでもないよ」

 確かに、当時の富士屋ホテルは従業員も含め、「純血主義」を貫いていた。とくにフロントや料飲課は、アルバイトのみならず、「配膳」(派遣社員)も使わないという徹底振りだった(現在は違う)。

 半ばあきらめながらも、やはりあの美しい芝生が忘れられない。山中湖に映える緑のグリーンを脳裏に思い浮かべながら、もう一度、手を換えて尋ねてみた。

「では、学割で使わせてもらうことはどうでしょうか? その差額分は、ボランティアで働いてお返ししますから」

 譲原支配人は、もっと呆れたような顔をしながら立ち上がり、ドアを開けた。

「さ、仕事があるから、きょうは引き取ってくれ。また、来てくれ」

 私は、ドアノブを握ってドアを開いている支配人の大きな身体の脇を抜けて、廊下に出た。

 そして、ワックスでよく磨かれたホテルのロビーを抜けて、友人がクルマを停めて待っている駐車場に向かって走り出したのだ。

 翌日、私はガールフレンドのクルマで、もう一度山中湖ホテルを訪れた。

 やはり、あの美しい芝生を忘れることはできない。なにしろ、支配人は「また、来てくれ」と言ったはずだ。

「なんだ、また来たのか」

 今度は、最初から譲原支配人が対応した。

「いいぞ、上に来い」

 支配人の後をついて、再び階段を上がる。きのう追い返されたばかりの部屋に再び入る。すると、譲原支配人は開口一番、こう言ったのだ。

「パターコース、使ってもいいぞ。その代わり、社員と同じ条件で働いてもらう」

 もしかして退学が条件だろうか。恐る恐る聞いてみた。

「ははは。いや、辞めなくてもいいんだよ。だが、学生アルバイトはうちではまずい。だから、キミの場合は、『従業員』がたまたま大学に通っている、という形にしよう。『従業員』なんだから社員寮に入ってもいいぞ。そうすれば毎朝、大学に行く前にゴルフの練習ができるだろう。時給は最低の600円から。しっかり働いてくれ」

 あとからわかったことだが、譲原支配人は、前夜、本社と掛け合って、私の採用許可を取っていたのだ。

 こうして私の山中湖でのゴルフ生活が始まった。

[ 第44回 終わり ]


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