上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.02.15


【第42回】
結成!都留文科大学ゴルフ同好会

42img01a
(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆は中学・高校生活をゴルフに捧げたひとりの少年ゴルファーだった。しかし、田舎の大学ならばゴルフ三昧だろうと入学した都留文科大学(山梨県)には、ゴルフ部も、ゴルフサークルも存在しなかった。大学脇の建設会社の私設練習場の使用許可を得た上杉は、すぐさま「ゴルフ部」創設へと動き出したが――。

素人ばかりが40名、しかも
そのほとんどが女子学生!

 ゴルフ部創設の夢は、まさしく夢として消えようとしていた。

 日本全国から学生を集める都留文科大学は、一人暮らしの学生が多い。

 学生たちの生活は質素であり、生真面目そのものである。さらに国公立大学特有の地味な校風は、ゴルフという球技をスポーツとして見なすどころか、贅沢な遊びだ、と決め付けている風でもあった。少なくとも90年代半ば当時は間違いなくそうであった。

 よって私は、ゴルフ部を作るというよりも、ゴルフというスポーツの健全性を説明する伝道師の役割から始めなくてはならなかった。

 次第に私は嫌になってきた。ゴルフをするためにゴルフ部を作るはずが、その労力のためにかえってゴルフをする時間が削られていくのだ。

 そうしているうちにあっという間に一年がすぎようとしていた。

 私の活動範囲は、大学のある都留市ではなく、住み込みでアルバイトをしている山中湖村に移っていく。山中湖ホテル(富士屋ホテルチェーン)で働き、練習はもっぱらホテル中庭のパターコースとその周辺の芝生であった。

 朝起きて、まだ露の降りている美しい芝の上に立って、ボールを転がす。眼下には朝日に輝く山中湖の湖面が広がり、振り向けば広大な富士の山体が迫っている。そんな環境だから、自然、大学のある都留に行くのが億劫になっていたのだ。

 とはいうものの、冬の山中湖でゴルフをするほど私も愚かではない。地面が凍ってしまい、標高千メートルのパターコースではゴルフどころではないのだ。

 すでに大学には、最低必要限の講義のときだけ、山中湖村から下りてきて顔を出すようになっていた。つまり、単に単位を取るための往復であったのだ。

「おう、ゴルフ部はどうした?」

 都留文科大学を囲むようにある山の端に太陽が隠れ、刺すような冷気が降りてくる。

 久しぶりに大建総業を訪れ、練習場の灯りを点すと、後ろから小俣社長の声が響いた。

「全然、集まらないんですよ」

「ははは。そうだろう、文大じゃなぁ。そうだ、そこのアパートにキミの先輩が住んでいてゴルフをやるらしいぞ。そういう学生に声を掛けてみればいいんじゃないか」

 確かにそうだ。ゴルフをしない学生を誘っても限界がある。だが、元からゴルフをする学生を探せば、それは手っ取り早い。

 そんな単純なことにすら頭が回らなかったのか……。そうだ、告知しよう。掲示板だ。講義棟の前の掲示板にあった。あそこにポスターを貼ってメンバーを集めよう。

 久しぶりに気を取り直した私の単純思考回路にあっという間に火が付いた。その足で当時のガールフレンドの家に行き、ワープロを借りる。そして、ゴルフ部員募集のポスターを作ったのだ。

 連絡先として、新井と沖山のアパートの電話番号を書いた。もちろん無断である。なにしろ私の家は山中湖のホテルである。そんなことに電話を使うわけにはいかない。

 まぁ、新井と沖山には、今度会った時にでも伝えておけばいいだろう、そんないい加減な感じでスタートしたのだった。

 翌朝、大学掲示板に募集ポスターを貼った。説明会のために教室を借りた。これで万全だ。まもなく入学式を迎える。きっと多くの新入生が入部することだろう。

 実際、あっという間に40人以上の希望者が集まった。そのほとんどが女子学生で、しかも完全な素人である。

 それは若干の予想外ではあったが、やる気さえあればなんとかなるだろう。そう当時、誰もが若かったし、私自身も考えが甘かったのだ。

 実は、人数が集まったものの指導教官がいない。どうしたらいいのか。

 半ば強引に、半ば無断でもっとも歳の若い体育講師の麻場教官の名前を借り、ゴルフ同好会を発足させた。

 さぁ、いよいよ。大学でのゴルフ生活のスタートだ。ところが、すぐに厳しい現実が突きつけられる。

 当面、大建総業の練習場を使わせてもらうことになったが、ほとんど全員がクラブの握り方さえ知らないのだ。

 私の役割はとにかくレッスンすることだけである。なにしろ相手は40人以上もいるのだ。たった一回の練習だけでも疲労困憊になったものだった。

 しかも、ボールに当たっただけで飛び跳ねて喜ぶ初心者ばかりだ。それはゴルフのマナーからも程遠い有様だった。単に練習場で大騒ぎして、一日の練習が終わることもあった。

 そうこうしているうちに、ついに小俣社長の雷が落ちるのだった。

[ 第42回 終わり ]


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

運営会社 | プライバシーポリシー