上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2011.01.25


【第39回】
芝が生えてりゃゴルフはできる?

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(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆はゴルフに夢中な高校生だった。中学時代からのゴルフ仲間であるヨデブ・鈴っちゃん、イワオ、エテパン、大ちゃんたちと上杉は、新宿の街の片隅でクラブを振り回す青春を過ごしていた。そんな彼らにも卒業のときが訪れる。ひとり、またひとりとゴルフから離れるなか、“ウエスギ”も受験勉強のため、クラブを置いた、が――。

ゴルフができる環境を求めて、
大学の受験先を決めた。

 受験した大学は3つ。茨城県の筑波大学、長野県の信州大学、そして山梨県の都留文科大学であった。

 私はゴルフに飢えていた。芝の上に立つこともままならない東京のど真ん中での生活、そこから何より脱出したかった。育った新宿も、夜の渋谷も、おしゃれな代官山も、猥雑な六本木も、もはや私を魅了することはなかった。

 一年ほどクラブを握らない間に、ますますゴルフへの想いが募ってくる。恋に焦がれる青年のように、私はゴルフのできる環境を目指そうと決意した。

 実は、ほとんどそうした理由だけで、私は大学の受験先を決めたのであった。

 地方ならばきっといつでもゴルフができるはずだ――。

 それは、いつの時代も例外なく青年を支配しがちな単純な楽観論ではあったが、それゆえに大胆な行動が可能だったのかもしれない。

 地方ならば、道端に出れば、草が生えているだろうし、その上にボールを置けば、いつでもアプローチの練習くらいはできるだろう、実際、そう考えていたのだ。

 最初の受験先である信州大学では、松本城脇を流れる女鳥羽川沿いを歩き、どこかでゴルフクラブを振れないものか、そればかりを考えていた。

 次の受験先である筑波大を訪れたときも同じだった。

「あの池の縁の芝だったら、ピッチングウェッジでのアプローチ練習はできるよな……」

 試験の合間ですら私は、大学構内を一人で歩き回わり、そんなことばかりを考えていたのだった。

「素晴らしい。こんな近くに練習場がある」

 合格して初めて都留文科大学の門をくぐった私は、構内の様子よりもまず、大学入口の横にある練習場のネットに目がいった。そこは大学駐車場から徒歩10秒という抜群の立地条件を満たし、あたかも私にゴルフを再開しろと誘うかのようであった。

 もちろんそれは青年特有の都合のよい妄想に過ぎない。

 だが、そうした妄想は時間とともに広がり、入学説明会の際にも、教授の話はそっちのけで、窓の外を見ながら「この運動場だったら8番アイアンのフルショットまでは可能だな――」などということばかりを考えていたものだった。


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