上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.12.08


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僕らは大きなターフを量産し、
インサイドアウトの虜になった。

 なにしろゴルフに対する根本の知識が欠如している。教えを請うのはすべて仲間たちである。そしてその知識の元はといえば、ゲーリー・ワイレン博士の番組(東京12チャンネル=現テレビ東京)か、せいぜいベン・ホーガンの『モダン・ゴルフ』から参照した技術のどちらかであった。

「ゴルフとは極めて単純なゲームなのに、ゴルフをする人間があまりに複雑極まりないのである」

 ワイレン博士のこの単純な理論を胸に刻みながらも、私たちはホーガンのストイックなスウィング打法を求める、という離れ技をやってのけようとしたのだった。

その結果、背筋のみならず、末梢神経まで捻り上げるような人間技とは思えないスウィングが現れることになる。もちろんボールを打つどころではない。巨大なターフはボールの先の芝ではなく、手前の芝から量産されることになったのだ。

 そんなショットを放ちながらも、私たちは人並みにゴルフクラブへの興味を失っていなかった。より良いショットを求めるために、より良いクラブを欲することに年齢は無関係だった。

 とはいうものの、新製品を買うほどの余裕はない。だから、アルバイトで貯めた僅かな資金を握り締め、上野や新橋の中古ショップを目指したものだった。

 当時のドライバーは例外なくパーシモンヘッドである。小さなヘッド、その芯を少しでも外せば、驚くほど悲惨な結果が待ち受けていた。

「うわぁ、150メートルも飛ばない」(当時はメートル表示)

 こんな悲鳴がしょっちゅうコースに響いた。とはいえ、芯を食ったショットでも大して結果は変わらない。せいぜい210メートル飛ばせば、それで十分満足だった。

 それでも、私たちは少しでもドライバーの飛距離を伸ばそうと、試行錯誤を繰り返した。そのうち、当時の非力なジュニアゴルファーの誰もが行き着くある打ち方を会得するようになる。

「インサイドアウトに腕を振って、思いっきりドローをかければ、ボールは飛ぶぞ」

 私たち少年ゴルファーも例外ではなかった。誰かのこの言葉を合図に、みんなこすり上げるような低いフックボールを打ち始めたのだ。

「インサイドアウト!」

 当時、フィル・コリンズの歌っていた同名タイトルの曲を口ずさみながら、鈴っちゃんがドライバーでこすり上げる。それに続くように、ヨデブも、イワオも、エテパンもフックボールを打つ。そうやってランで飛距離を稼ぐことが、私たち少年ゴルファーのドライバーショットの「基本」になっていった。

「ボールがぜんぜん止まらないんだよな~」

 フックボールを打つようになった私たちは、同じ悩みを共有していた。ドライバーはいいが、グリーンを狙ったアイアンショットのボールが止まらないのだ。

 混乱しながらも、それでも腕を激しくスウィングし、さらに混乱の淵に堕ちていくという悪循環に陥っていった。力いっぱいボールを叩けば、その分だけ飛ぶのだと信じていた。

「本当に腕への意識はいらないんですよ。僕自身もなかなかそこに至るまで抵抗がありました」

 中井プロが語る。身体を右に向けて、そして左に戻すだけでゴルフスウィングは終了だと言い切るのだ。

 なんという単純な理論だろう。あたかもベン・ホーガンを冒涜しているかのような教えだ。だが、少年時代から同年代のライバルの教えには耳を傾ける性質である。私は素直に中井プロの忠告を聞き入れた。

 ボールがグリーンをとらえる。しかも何発打っても結果は同じだ。ゴルフスウィングとはこんなに簡単なものだったのか。

 中井プロがまるでゲーリー・ワイレン博士のように見える。翌日から私の赤坂通いが始まった。

[ 第34回 終わり ]


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