上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.12.08


【第34回】
博士!スピンが欲しいです

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(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆はゴルフに夢中な高校生だった。中学時代からの仲間であるイワオ、ヨデブ、大ちゃん、鈴っちゃん、エテパンといった個性的な面々と彼は、練習場でのバイトでお金を稼ぎ、少ないラウンドのチャンスにすべてを賭ける日々を送っていた。お金はない、クルマもない、会員権もない、しかしゴルフを愛する心は誰にも負けない彼らを中心とした、これは「青春ゴルフノンフィクション」だ!

ゴルフ番組でプロゴルファーに
サインを求められた。

 赤坂といえば、ニューラテンクォーター、コパカバーナ、TBS、そしてコモエスタである。いや、コモエスタは赤坂とは関係ない。歌だ。ただセニョールな感じなので付け加えてみた。

 さて、華麗な文化の彩りを失わない赤坂に、いま新たなコモエスタが誕生した。ゴルファーたちの楽園「ゴルフレッスンファーストゲート」である。

 代表は中井学プロ。先日、ゴルフネットワークの番組に出演した際、初めて会った。

「上杉さん、サインをお願いします」

 ゴルフダイジェストに寄稿している影響だろう、最近は、サインを求められることも少なくない。そういえば先日も、赤坂のコモエスタな感じのバーで軽食を採った際、若い女性スタッフにサインを求められたものだった。

 もはや私自身も慣れたものである。ペンを受け取るとこう語りかけた。

「で、どこに書けばいいの?」

「こちらにお願いします」

 妙に丁寧な対応の女性スタッフの手元には、伝票が握られている。そう、単なるカード会計のサインを求められたのだった。

 さて、そんな厳しい赤坂の夜は別としても、プロゴルファーからサインを求められるのは珍しい。外国人プロにサインをもらおうかと目論んだことはあったが、(編集部注/記者が選手からサインをもらうことは禁止です)、サインをねだられたのは初めてだ。

 しかも、中井プロの手元には伝票ではなく、なんと拙著『結果を求めない生き方』が握られているではないか。

 素晴らしいプロだ。何らかの支払いではなく、私の印税収入に協力してくれた初めてのプロだ。

 なにより彼は苦労人だ。年齢は4歳下。奈良の県立橿原高校在学中、日本ジュニアに出場した。

 しかし、サラリーマン家庭ゆえにラウンドは3カ月に1回に限られた。そう、端的にゴルフをできる環境になかったのだ。

 その後、国公立大学の受験に失敗し、浪人生活を余儀なくされる。その間、ゴルフ愛に目覚め、新聞配達などのバイトで稼いだ資金を元手に単身米国に渡り、いくつかの大学でゴルフを学んだ末、苦労してプロになった異色のゴルファーである。

「米国では皿洗いから、何でもやりましたよ。時給5ドル。ゴルフどころか生活すら苦しかったんです。そんな時、大学の友だちからティーチングプロを紹介され、30分100ドルを自腹で払って教わったんです。でも、たった一言『リズムを考えればいいよ』だけ。詐欺に遭ったようなもので、それ以降、独学で学ぼうと決めたんです」

 当時、私たち少年ゴルファーにレッスンプロはいなかった。お互いが先生であり、お互いが生徒だった。

「バックスピンってさ、ダウンブローに打たなくちゃいけないんだろう。エテパン、そんな打ち方じゃボールは止まらないよ」(ウエスギ)

 当時、アイアンショットは打ち込むことが「基本」だった。だからこそ、少年たちは切り取ったターフが大きければ大きいほど、正しいダウンブローで打たれていると思い込んでいた。そしてまた、そうしたショットのみが強烈なバックスピンをもたらすのだとも信じていた。

 よって私たちは、ボールを飛ばすことよりも、むしろターフを飛ばすことに神経を集中させたのだった。

「へール・アーウィンのショット見た? 凄いよな、あのターフ」(ウエスギ)

「そうか、グレッグ・ノーマンのターフの方が大きかったぞ」(ヨデブ)

「うーん、あんなターフどうやって飛ばすんだろうなぁ」(大ちゃん)

 ベント芝でプレーしたことのない私たちは、ターフがバラバラに飛び散ってしまう高麗芝で、アーウィンやノーマンと同じ結果を出そうと無駄な努力を繰り返していたのだった。


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