上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.11.30


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トレビノのプレーを見て
ゴルフに対する認識が変わった。

  リー・トレビノはおよそゴルファーらしからぬプロだった。静寂とはまったく無縁、トレビノが画面に現れると必ず何かを話している映像ばかりが流れたものだった。

 キャディと、同伴競技者と、そしてギャラリーたちにも話しかけ、みんなつられて笑っているという映像がいまだに焼きついている。

 わたしたち少年ゴルファーはトレビノのそうした姿をみて、ゴルフとは楽しんでいいスポーツなのだと初めて認識した。

 それまで日本のゴルフ界は違った。とくにジュニアゴルフはまったくの別世界だった。私語厳禁、バーディを取っても笑ってはいけない。ボギーで上がった同伴競技者に気を遣えと命じられたのだ。

「そこ、何をぺちゃくちゃ喋ってんだ。黙って歩け!」

 関東ジュニア選手権大会の指定練習日、ノーザン錦ヶ原CCでラウンドしていたエテパンと私に対して、何度も係員から叱責の声が飛んだ。

 その日、私とエテパンはやはりジュニア選手権に出場する埼玉の県立女子高校の2人と回っていた。なにしろまだ17歳である。ゴルフも大事だが、恋も大事だ。

 なにより天気も良いし、女の子たちも可愛い。私たちはお互いにゴルフについて、そして高校生活について語りながら、フェアウェイを歩いていたのだ。

 ところが、当時のJGAはそうした行為を認めていなかった。

 いまは〈長年、ジュニアゴルファーの育成に理解を示し――〉などと謳っているが見事な嘘っぱちである。当時はジュニアだけのラウンド、と伝えるとクラブハウスにさえ入れないゴルフ場がごまんとあったのだ。

 それを黙認していたのはJGAに他ならない。しかもカネにならないジュニアへの扱いは極めて劣悪であった。

「そこの男子学生二人、ラウンド中にしゃべるな!」

「なに笑ってんだ。ゴルフの最中に歯を見せるな」

 こうした叱責によって、私たちは、ゴルフとは静かに行うべきスポーツなのだと信じこまされてきた。確かに、日本のゴルフ中継でラウンド中に話しているプロの姿を見ることは当時は稀だったのだ。

 ところがある夜、「ビッグイベントゴルフ」(日本テレビ)でトレビノの映像を観てから考えが変わった。本家である米ゴルフツアーでは必ずしもそうではないことに気づいたのだ。

 それ以来、もとより話好きの「エテパン」と私は、一夜にしてゴルフのスタイルを変えたのだった。とにかくゴルフ場では話し続けたものだった。

「なんだよ、イワオ、あの高弾道! どうやって打ったんだよ」

「出た~、超ころがし。どんな距離感してんだよ、大ちゃん」

 そうやって、ひたすらしゃべりながら、芝生の上を歩ける喜びと、ゴルフのできる幸せをみんなで確かめ合ったものだった。 エテパンと私は歌も歌った。

 天気の良い日のフェアウェイで、私がヒバリのさえずりをBGMに「マスターズ」の主題歌を歌えば、暴風雨のラフでエテパンは「巨人の星」のテーマを歌いながら歩いた。

 誰かが酷いショットをすれば慰め、素晴らしいショットには感嘆の声を上げ、そうやって最後には誰もがトレビノのように笑いながら、みんなゴルフを楽しんだものだった。

「あ、右だ」

「あ、また右だ」

 小山プロのドライバーが大きく右に飛んでいく。なんということだろう。OBも飛び出した。

 口数以上に激しいゴルフだ。ある意味、すごいプロゴルファーである。

「上杉さん、ゴルフの本、ぼくと一緒に出版しましょうよ」

 バック9に入ってすぐ、タケプロから唐突な申し出が為された。私は敬意を表して一応聞き置いておくことにした。

「お互いに曲がりまくるドライバーショットをみて、もう、タイトルも考えておきましたよ」

 私は、もはや静かに頷くだけである。

「タイトルは『もしドライバーが曲がらなかったら』。略して『もしドラ』。どうですか! ドラッカー教授にも推薦文を書いてもらいましょう。きっと、ベストセラー間違いなしですよ(※ピーター・ドラッカー教授は05年に亡くなりました。編集部注)」

 遂に、静かにしていた唐橋アナが口を開いた。

「タケさん……、それ、『喝!』です」

 その小山プロだが、しゃべりまくりながらも、結局通算2アンダーパーでホールアウトした。さすがにプロ、「あっぱれ」である。

 関口宏氏とTBSには、「サンデーモーニング」での小山プロの出番を、今以上に増やすことを願うばかりである。

[ 第33回 終わり ]


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