上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.11.30


【第33回】
おしゃべりオン・ザ・フェアウェイ

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(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆はゴルフに夢中な高校生だった。中学時代からの仲間であるイワオ、ヨデブ、大ちゃん、鈴っちゃん、エテパンといった個性的な面々と彼は、練習場でのバイトでお金を稼ぎ、少ないラウンドのチャンスにすべてを賭ける日々を送っていた。お金はない、クルマもない、会員権もない、しかしゴルフを愛する心は誰にも負けない彼らを中心とした、これは「青春ゴルフノンフィクション」だ!

普段は饒舌な私も黙ってしまう
タケ小山プロのマシンガントーク。

 ゴルフは静かに行うべきスポーツである。

 同伴競技者のプレー中は、会話はおろか、くしゃみのひとつすら許されない。紳士的で、そして静寂を愛する人物だけに許された競技であった。

 とくに日本ではつい最近までそうだった。沈黙こそがすべてで、下手に同伴競技者などとしゃべったりするとペナルティの対象となる。だからだろうか、トーナメントに出場するようなプロの周囲には、いつも不思議な静寂が広がっている。この人が登場するまでは…。

 タケ小山プロとラウンドした。以前、テレビ朝日のスタジオで擦れ違って以来の邂逅だ。とはいうものの、ツイッター上では何度も会話を交わしていた。

 エンゼルカントリークラブに到着した朝、クラブハウスの中央で仁王立ちしている人物をみつけた。逆光のためによく見えないが堂々たる体躯、このゴルフ場の所属プロだろうか。

 よく見れば、それがタケ小山プロだった。いつも「屋根裏部屋」で過ごしているのかと思ったら、どうやら陽の当たる場所にも出てくるようだ。さすがフロリダ生活18年のプロゴルファー、太陽がよく似合う。

 同伴者は「サンデーモーニング」(TBSテレビ)で、小山プロと共演しているアナウンサーの唐橋ユミさん。共演と言っても、唐橋アナはスタジオで、小山プロは屋根裏部屋からの放送と差別されている。いや区別だ。そんなことはどうでもいい。

 その唐橋アナは、筆者ともラジオ番組「吉田照美 ソコダイジナトコ」(文化放送)で共演し、その昔は、タケ小山プロのゴルフ番組のアシスタントをやっていたゴルフアナでもある。

 そんな五月蝿そうなメンバーでとにもかくにも南房総の暖かい日差しの中、1番ホールのティインググラウンドに向かった。

 歩きながら、タケ小山プロがキャディにギャグを連発している。ものすごい勢いだ。長いゴルフ人生の中で、こんなにしゃべるプロに出逢ったのは初めてだった。

 それは、普段は饒舌のために同伴競技者に疎まれる私や、職業アナウンサーの唐橋アナが黙ってしまうほどである。

 1番ホールを終えた直後のことだった。前の組が詰まっているのをいいことに小山プロの機関銃トークが炸裂した。

「しゃべりすぎたー。もう9ホール分しゃべっちゃったよ」

 まだ、1ホールしか消化していない。それに普通のプロの会話だったら9ホールどころか1ラウンド分、いやもう1年分くらいしゃべっている。だが、本当のことを言うのは気の毒だ。言葉を飲み込んだ私は2番ホールのドライバーショットを放った。

「いや、上杉さん、いいショットですね」

「お、ゆみっぺ、ナイスパット」

 とにかく、静かな時がない。こんなしゃべりまくるゴルファーは、あのリー・トレビノか、あるいはウルフマン・ジャックくらいだ。いや、ウルフマン・ジャックはゴルファーじゃなかった。まぁ、いいや。(※ウルフマン・ジャック――アメリカの有名なラジオDJ・編集部注)

 さて、9番ホールにやってきた。前半の上がり3ホールで3連続ボギーを打った私は、さすがに言葉数も少なくなっていた。いや同伴プロの口数があまりに多いために、少なく聞こえただけなのかもしれない。

「上杉さん、9番ホールもボギーだったから前半は41ですね。それで次の本のタイトルも決まりですよ」

 小山プロがまだしゃべりかけてくる。私は無視して短いボギーパットを決める。その途端、献本したばかりの拙著『上杉隆の40字で答えなさい』(大和書房)を掲げながら小山プロはこう叫んだ。

「『上杉隆の40打で上がりなさい』! どうですか、なんなら僕がインタビューしてもいいですよ!」

 私と唐橋アナは、静かにクラブハウスの食堂に向かった。


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