上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.11.16


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冬の河川敷に吹き付ける強風に、
闘いを挑んだエテパン。

 当初、私たちは大抵それを3番アイアンで行なっていた。だが、ある日のこと、ヨデブが持参した一本のクラブによって、私たちは新たな挑戦に入っていった。

 逆風を低く飛んでいくヨデブの驚異的なショットの証人となった少年たちは、次のラウンドから、一様に2番アイアンを手に冬の河川敷に現れるのだった。

 さらに、わたしたち少年ゴルファーは風との戦いを続けた。ピッチングウェッジであえてトップさせて、枯れた芝の上を転がすことを最初にやってのけたのは大ちゃんだった。

 だが、それはあまり好まれないやり方だった。新製品のDDHツーピースボールならばまだしも、一般的な糸巻きボールでは、たった一度のそのショットによって、ボール表面に大きな傷がつき使い物にならなくなってしまうのだった。

 そうした試行錯誤を経たある日、イワオがさらに上を行く秘密兵器をキャディバックに忍ばせてきた。

 ドライビングアイアン。そう、ほとんど板のような1番アイアンを持ってきたのである。それを駆使すれば、地を這うようなボールが放たれる……はずだった。

 だが、ドライビングアイアンを手なずけるには私たちはあまりに技術的に未熟であった。

 冬場の赤羽ゴルフ倶楽部ではアウトの5番を折り返すと、風が正面から吹き付けるアゲンストのホールが続く。荒川の水面を滑って湿気を含んだ重い風が私たちを襲った。

 フェアウェイからピッチングウェッジでグリーンを狙う。風の止んだ一瞬をついてスウィングしても、大抵は悲惨な結果が待ち受けていた。

 高く舞い上がったボールは、いましがたショットした地点から数メートル先のところに落下するのだった。数メートルといっても前ではない。後ろだ。信じがたいことに、ボールは頭上を超えて、後ろに戻っていくのだった。

 そう、私たちはすでに当時、フィル・ミケルソンも驚きのバックフリップショットを勝手に習得していたのである。

 ある日のラウンド終了後のこと。とっぷりと暮れたフェアウェイには恐ろしいほどの強風が吹きつけていた。もはやボールの行方どころか、一緒に歩いているライバルの顔すら確認できない。そこに雨も降ってきた。暴風雨に恐怖すら感じる。

「あれ、オレのキャディバッグのカバーがない」

 さすがにみな無口である。ようやく9番ホールを終えてクラブハウスに到着してほっとしたと思ったらエテパンがこう叫んだのだ。

 この風の中だ、おそらく川まで持っていかれているだろう。誰もが諦めるように説得するが、彼は聴く耳をもたない。安物といえども当時の少年ゴルファーにとって、キャディバッグは財宝並みの高級品だったのである。

「クラブハウスで待っててくれよ。すぐ戻るから」

 そう言い残すと、エテパンはいましがたホールアウトしたばかりの9番ホールの方に向かって暴風雨の中を歩いていった。

 あたりは薄く暗くなり、ついには夜の帳が完全に下りてきた。すでに30分以上が経過している。この風雨の中をカバーを探して歩くエテパンの身が案じられる。

 心配してクラブハウス内を歩き回っていた鈴っちゃんが、「みんなで探しに行こうよ」と呼びかけたその時だった。エテパンの影が土手の上から現れた。

♪思い込んだら、試練の道を――。

 なぜかエテパンは「巨人の星」のテーマを口ずさみながら帰ってきた。何かに取り憑かれたのだろうか。

 心配してその様子を眺めていた私たちの姿を認めると、エテパンは消え入りそうな声でこう言うのだった。

「あったよ。6番ホールまで飛んで転がっていってたよ」

 エテパンの手には紺色のナイロン製の安いキャディバッグのカバーがあった。いまならば「ドン・キホーテ」で300円くらいで買えそうな代物だ。

 仮にカバーを探していて、ゴルフ場で遭難したとしてもきっと誰も同情しないだろう。だが、あの暴風雨と暗闇の中、ひとりフェアウェイに消えて行ったエテパンの姿を、星明子のようにクラブハウスの柱の影から見送った当時の私たちにとっては、彼こそが真の英雄だった。なによりエテパンは、初めて荒川の河川敷の疾風に勝ったゴルファーとなったのである。

 それでも、唇を震わせ、青ざめた表情で私たちと対面したエテパンは、間違いなく憔悴しきっていた。その冷え切った身体を温めるように大ちゃんが抱きかかえる。

「強風時のショットのコツがわかったよ」

 大ちゃんに背中を擦られながら、エテパンがつぶやく。

「唄を歌えばいいんだよ。そうすれば、風には負けない」

 ほとんどゴルフとは無関係な秘儀を披露しながら、エテパンは満足そうにバカ笑いした。この瞬間、風の中での私たちのゴルフは別の競技に変わっていったのだった。

[ 第31回 終わり ]


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