上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.11.16


【第31回】
赤羽の星飛雄馬

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(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆はゴルフに夢中な高校生だった。中学時代からの仲間であるヨデブ、大ちゃん、鈴っちゃん、エテパン、イワオといった個性的な面々と彼は、ビルの谷間にあったパター練習場「新宿パターGC」で腕を磨き、「落合ゴルフ」でバイトをしては「赤羽ゴルフ」で腕試し。お金はない、クルマもない、会員権もない、しかしゴルフを愛する心は誰にも負けない彼らを中心とした、青春ゴルフノンフィクション!

温暖な宮崎のフェニックスCCで
ゴルフをプレーする"仕事"をしている。

 今週、ダンロップフェニックスが開催される。

 ということで、一足先にフェニックス・カントリークラブに行ってきた。温暖な宮崎では雪の積もることもないという。確かに木枯らしの時期にもかかわらず、半袖一枚でのプレーが可能だ。

 これは仕事である。あくまで仕事である。

 フェニックスのクラブハウスで「グレート・ティーチャー」こと吉岡徹治氏と待ち合わせた。あの石川遼を育てた高校教師である。ここ宮崎でも次世代ジュニアを教えているという。これから一緒にラウンドする。

 これも仕事である。おそらく仕事である。

 シックな内装にクラブハウスの伝統が滲み出ている。33年前に初優勝を飾ったセベ・バレステロスの肖像画が壁に飾ってある。トム・ワトソンの写真とサインもある。ジョニー・ミラーのクラブも置いてある。興奮して写真を撮りまくった。

 これも仕事である。たぶん仕事である。

 東京ではAPECを控え、政府の動きが慌しい。補正予算の審議も、「尖閣ビデオ」の対応もある。本来ならば、永田町の委員会室にでも立っていなくてはならない。だが、それも不可能なときもある。その代わり、私は松林に囲まれたフェニックスCCの一番ティグランドに立っている。

 これも仕事である。同じく仕事である。

 女子ジュニア期待の新星・柏原明日架も加わった。大きなアークと深いコックで驚くべきドローボールを放つ。聞けばまだ14歳、私のドライバーショットを軽々とアウトドライブしていく。フェアウェイを歩きながら楽しそうに話している。
柏原明日架
※写真:日本女子アマで2位に輝いた14歳の柏原明日架

 柏原は朝から晩までフェニックスのスクールに来て練習しているという。そのおかげか、グレート・ティーチャーのおかげか、いずれにしろ、今年の日本女子アマで2位に入った。素晴らしい笑顔とスウィングの持ち主だ。

 彼女の夜は長い。100球連続で2メートルのパットが入るまで寝ないというのだ。私の原稿書きよりもストイックである。

 風は止んでいる。天気は最高だ。ゴルフはなんと素晴らしいスポーツなのだろう。

 こんな仕事ができて私は幸せ者である。

 私たちの少年時代、ゴルフはときに辛いものであった。とりわけ自然との闘いにおいて、私たちは度々試練を味わった。

 少年ゴルファーにとって最強のハザードはなにより、強風であった。新宿パターのビル風、河川敷のゴルフ場での突風、日本ゴルフ協会からの冷たい逆風……。

 なかでも赤羽ゴルフ倶楽部でのラウンドは風との闘いであった。

 荒川河川敷に広がる私たちの「聖地」は、午後になると決まって強風が吹きつけてきたものだった。

 とくに冬場、それは半ば「凶器」となって私たち少年ゴルファーに襲い掛かってくる。それは強風というレベルではない。フェアウェイを奔る風で歩くこともままならず、鼻腔に吹き込んでくる風で息もできない。

 当初、私たちはそうした風に向けてドライバーを使って対抗しようとしていた。北風に向けて渾身のショットを放てば、きっと勝てると踏んでいたのだ。疾風の中、いつもはラージボールを使っていたイワオもスモールボールに換える。そして、私たちは力いっぱいパーシモンのヘッドをボールに叩き付けたものだった。

「あ~」

 惨めな叫び声も風にかき消される。真新しいスモールボールは風に翻弄され、大きな弧を描いてコース横の荒川の餌食になるのだった。仮に、見事なショットでボールを捉えたとしても、結果は大して変わらなかった。スモールボールは高々と吹き上がり、ティグラウンドから50ヤード先に落ちるという有様だった。

 そうした失敗を繰り返し、私たちはようやく疾風の中の勁草を知るのだった。強風の中では、強いドライバーショットより低いロングアイアンの方が好ましいのだ。

 スピンを減らしながらできるだけ低く打ち出し、地を這わせるショットで風をつんざく術を覚えようとした。


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