上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.10.19


【第27回】
1986―18歳のマスターズ

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(前回のあらすじ)
雑誌・ラジオ・ネット・twitter等で旺盛に活躍する気鋭のジャーナリスト・上杉隆は、1980年代、ゴルフに夢中なひとりの高校生だった。大都会・新宿で育った彼は、「大ちゃん」「鈴っちゃん」、「ヨデブ」、「イワオ」、「エテパン」といった中学時代の仲間たちと、高校に入ってからもゴルフに夢中な日々を過ごしていた。これは、彼ら5人の高校生を中心にした、“青春ゴルフノンフィクション"だ――。

取材で初めて訪れたオーガスタ。
少年時代の夢を叶えた幸せに浸った

 石川遼と松山英樹――。

 つい先月までともに18歳だった二人。この若者らは日本のゴルフ界、いやアジアのゴルフ界を牽引するライバル同士になるかもしれない。

 かたやプロ、かたやアマチュアでありながら、実年齢以上の見た目の成熟度も手伝って、将来必ずや世界を舞台に活躍し、豊かで厳しいゴルフというゲームを克服してくれるのではないか、という長文の期待を抱かせる二人である。

 換言すれば、それは、日本人初のメジャーチャンピオンの誕生の可能性ということにつながる。それは石川遼、松山英樹という二人の少年にとっての目標であると同時に、日本全国のゴルファーの夢でもあるのだ。

 来春、おそらく二人はともにオーガスタの地で戦うことになるだろう。その姿を想像しただけで心躍るようだ。

 18歳――。

 石川も、松山も、この年齢で初のマスターズ出場を決めた。

 私たち新宿の少年ゴルファーが、夜な夜なゴルフ練習場に忍び込んで、こっそりとボールを打っていた頃である。その同じ世代に、すでに彼らはマスターズに出場するのだ。

 なんという落差、なんという歓喜、そしてなんという羨望だろう。

 当時、ゴルフ少年の最大の夢はマスターズだった。多くの少年ゴルファーが、朝から晩までオーガスタの話をし、TBSが流すテーマソングを諳んじたものだった。

 幸運なことに、その後、私はオーガスタの地を踏むことになる。初めてオーガスタの地を訪れた時、私のお土産代はその旅費をはるかにしのぎ、思えば、決勝ラウンドに進出した最下位の選手の獲得賞金にも迫るほどであったのだ。

 その大半が、少年時代のライバルたちへのお土産代に消えたのはいうまでもない。

 しかし、それでもかまわなかった。オーガスタの地を踏むことのできた幸福、取材とはいえ、少年時代の夢を叶えることができた満足は何ものにも替えられない。

 その幸せを独り占めした私は、四半世紀前の少年時代の夢をライバルたちと共有したかったのだ。

 1986年、私の家では、深夜の麻雀大会が、連日のように繰り広げられていた。面子は父、近所のおじさん、そして私を含めた地元の友人たちだった。

 その頃、ルーデンスカントリークラブの練習生だった「大ちゃん」は、ゴルファーとしての限界を感じ、東京に戻ってきていた。自宅に居づらかったのだろう、連日、大ちゃんは私の家に通いつめる。いや、実際は通うというよりも、住んでいたのも同然であった。

 家に戻らない私の替わりに、まるで大ちゃんが、上杉家の長男であるかのように振舞っていたのだった。

「おー、おかえり」

 たまに自宅に帰ると、父らと雀卓を囲んでいる大ちゃんが、振り向きざまに私にこう挨拶する。もはや誰の家かわからない。

 近所のおじさんたちも「おかえり」や「久しぶり」と挨拶するが、なぜか父だけは「おう、どうしたんだ。なんかあったのか?」と息子の帰宅に対して、怪訝な表情を浮かべるのみだった。

 それは私が麻雀を嫌い、面子に入ることを拒否したことへの報復であったのかもしれない。いや、もしかして、高校に通って勉学やゴルフに励む姿が面白くなかったのかもしれない。

 いずれにしろ、私の父は、近所では、自宅で勉強する子供を叱り、中卒で働くことを命じる「変わり者」で通っていたのは間違いなかった。その結果、親に従順だった弟は、一切の勉学を放棄して、プロボクサーの道を歩んだほどであった。


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