上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.09.28


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白いワンピース姿の彼女と
SWを片手に歩いた6500ヤード。

 ある日のこと、私はその鵠沼海岸にガールフレンドを連れて行くことを思いついた。

 その前日、放課後の帰り道、芥川龍之介の晩年の作品で鵠沼海岸を舞台にした『蜃気楼』の美しい描写を解説し、ぜひ、そこを歩いてみようと提案したばかりだった。簡単にいえば海辺のデートを狙ったのである。

 下北沢の駅で待ち合わせした私たちは、少しはにかみながら、片瀬江ノ島行きの急行に乗り込んだ。

 彼女は白いワンピース姿、バスケットを抱え、そこには家で作ってきた弁当が入っていた。

 私の方はというと、当時のお約束のブルージーンズにボーダーのTシャツ、その上に紺のジャケットを羽織っていた。肩から掛けたバッグの中には、「写るんです」と、ソニーの「ウォークマン」、それにサザンのカセットを5、6本詰め込んでいた。

 なにしろ湘南である。それなりに海にふさわしい演出をしてきたつもりだった。

 ところが、手には、そう、私の手にはいつもと同じように、デートにはふさわしくないものが握られていた。それは、家を出る直前、散々悩みに悩んで、結局、持参したサンドウェッジであった。

 すでにデートも数回目、ガールフレンドは私がいつも持ち歩いているゴルフクラブに対して、あまり関心を示さなくなっていた。だから、下北沢駅のホームの上で私の手に握られているゴルフクラブを見ても、肩をすくめて「クスッ」と笑うだけで済んだのである。

 ところがその日、ガールフレンドの笑いは長く続くことはなかかった。

 鵠沼海岸に到着した私は、機嫌よくゴルフクラブを振りながらこう提案したのだ。

「サザンの歌に出てくる烏帽子岩、そこまで行こっか」

 湘南に来たことのない彼女が、私の無責任な提案に逆らう知識を持ち合わせていなかったのは当然であった。

 鵠沼から辻堂を経て、茅ヶ崎までの距離、約6500ヤード、しかもすべてバンカーである。歩きづらいことこの上ない。

 だから茅ヶ崎に到着したときには、二人は明らかに疲労困憊していた。

 だが、恋の力は連続バーディに匹敵するほど強かった。海岸沿いのサイクリングロードに腰掛けて、沖合いの烏帽子岩を見つめる。そして、彼女の作ってきた弁当を広げ、それを食べ終わった頃には、再び元気になっていたのだ。

 高校生の私はまだ若かった。烏帽子岩の正面で、遠くに煙る江ノ島を指差しながら、よせばいいのに私は再び提案したのだった。

「芥川龍之介は、夕刻の美しい鵠沼海岸を歩いているんだ。もう一度、戻ろうっか」

 彼女は俯くだけで同意も不同意も示さない。それを勝手に「了」と認めた私は、ゴルフクラブを片手に、彼女の手をもう一方に握って、再び、今来た砂の道を戻り始めたのだ。

 ずっとゴルフの話で盛り上がっていた私だったが、さすがに途中、会話も途切れがちになる。ウォークマンのイヤホンのひとつを彼女の耳に差し、サザンを聞きながら歩く。

 そして、鵠沼海岸駅に着いたときには、まったく会話はなくなっていた。

 駅のホームでゴルフクラブを掃除している私の横で、彼女は小さく呟いた。

「なんか、きょう、疲れちゃった」

 私は、その日を最後に、海にゴルフクラブを持っていくことを止めたのだった。

[ 第24回 終わり ]


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