上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.09.28


【第24回】
湘南デートの必需品。サザンの曲と、サンドウェッジ

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(前回のあらすじ)
1980年代、気鋭のジャーナリスト・上杉隆はゴルフに夢中なひとりの高校生だった。運動神経抜群で、ゴルフ場で研修生として働く「大ちゃん」、ゴルフに関する知識なら誰にも負けない「鈴っちゃん」、都会的な雰囲気の「ヨデブ」そして「イワオ」に「エテパン」……。大都会新宿に暮らす5人の高校生を中心にした、これは“青春ゴルフノンフィクション”だ――。

渚橋のたもとのデニーズが
僕らのクラブハウスだった。

 持っていくべきか、置いていくべきか、それが問題だ――。

 海に行くとき、私はいつも悩んだものだった。新宿から電車で一時間半以上、都心部に住む私たちにとって、湘南海岸は決して便利な遊び場ではなかった。

 それでも、葉山から逗子、材木座と由比ヶ浜、稲村ヶ崎より七里ヶ浜を経て、その先の江ノ島、鵠沼、茅ヶ崎まで、海といえばやはり湘南であることに違いはなかった。

 なにしろ湘南には青春の香りが漂っていた。サザンやチューブの歌詞にも出てくる見慣れた風景、ゴルフにとって好都合の長く続いた遊泳禁止区域の砂浜、まさしく湘南はゴルフ少年にとっての天国であった。

 だが、湘南までの移動に、ゴルフクラブは若干邪魔であった。とりわけ電車で通う時など、車内での奇異な視線を耐えなければならない。多感な高校生にそれは少しばかり勇気のいる行為だったのだ。

 それでも私たちは、僅かなナイスショットの妄想ともっと僅かな恋の予感を抱いて、湘南に通ったものだった。

「ヨデブ」と一緒の時は幸いだった。高校生ながらジャガーを所有する彼のクルマに便乗できたからだ。

 その場合、大抵、最初の目的地は逗子の海だった。通称「逗子デニ」、渚橋のたもとのデニーズは、私たちにとって重要な「クラブハウス」になっていた。

 逗葉道路のトンネルを抜け、渚橋の交差点の先で視界に海が飛び込んでくると、最初の目的地だ。私たちはまずデニーズの駐車場にクルマを停め、そこでその日の作戦会議を開くのだった。

 店に入らず、そのままトランクからクラブを取り出し、134号線を歩きながら南下して一色海岸や森戸海岸の「コース」を目指すこともあった。天気が悪ければ、限りなく薄いアメリカンコーヒーを飲み、天候の回復を待つこともあった。

 逗子や葉山周辺での「ラウンド」や「練習」が終わると、最後には「クラブハウス」に戻ってくる。逗子の入江に浮かんだディンギーの群れを眺めながら、私たちはハンバーグセットを注文する。

 テラス席ではカップルたちが愛を囁き合っている。そのすぐ隣のテーブルでは、不思議な男子高校生が色気のないゴルフ談義に花を咲かせている。それでも、私たちにとって、「逗子デニ」の夕食は最高の贅沢であった。

 国道134号線を西進する。材木座、由比ヶ浜を抜け、稲村ヶ崎に至る。だが稲村には苦い思い出しかない。

 到着早々、崖の上の芝生から砂利の広場に向けて、ボールを転がす。その瞬間だった。柔らかいアプローチが地面に着地したと思った途端、黒い影が近づき、忽然とボールが消えてしまったのだ。仰ぎ見れば、トンビが一羽、上空を舞っている。卵か何かと勘違いしたのだろう、くちばしにはボールを銜えている。

「こら、おい、おーい」

 叫びが届いたのだろうか、トンビはくちばしからボールを放した。だが、不幸なことに直下は海であった。

 稲村から西に広がる七里ヶ浜は、もっとも危険な海だった。換言すれば、そこはゴルフの練習にはまったく向かないエリアだったのである。

 七里ヶ浜の砂浜は狭く、大きな波がやってくると国道沿いの堤防まで海水が到達してしまう。よって、少しでもショットをミスすれば、大いなる危険が待ち受けている。

 ロストが発生しやすく、白波に洗われたボールが勢いよく海中に消えるのを見送ったのは一度や二度ではない。おそらく今なお七里ヶ浜にはゴルフボールが最低12個は沈んでいることだろう。

 それに比べて鵠沼海岸から西に延びる海岸線はすべて最高のバンカー練習場であった。

 夏のピーク時を外せば、昼間でもさほど人出は多くない。「遊泳禁止区域」を知らせる看板の文字も、私たち少年ゴルファーにとっては好都合なバンカー練習場の標識(しるし)にしか読めない。

 とくに「ヨデブ」のようにクルマを持たない普通の高校生にとっては、小田急線の駅から徒歩で通えて観光客の少ない鵠沼海岸は、もっとも利便性の高い練習場だった。


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