上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.09.21


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下校後の校舎は、
ゴルフの秘密練習場に。

 次に、他の部員などが下校したのを見届けると、薄暗くなった校舎裏で私は一人、独創的な練習を始めたものだった。

 まず、隣のバトミントン部の部室の電気を点灯し、その洩れた照明で地面を照らす。次に、バレー部やサッカー部から空気の抜けた不用のボールを拝借してくる。そして、窓に映った自分の姿をチェックしながら、文字通り、パンチショットでその大きなボールを打つのだった。

 インパクトの度に「バーン」という音が校舎裏から響き渡る。用務員が見回りに来る。当初、厳しく注意されていたが、いつからか、突然、黙認されるようになった。なぜだろう。

 おそらくは、それは陸上部の顧問のS先生の存在によるものだったに違いない。

 S先生は、化学の教諭であった。いつも白い実験着を着ていたが、私は彼に特別な親しみを感じていた。私は密かに、彼のことを「バレ」と呼んでいた。それはS先生の顔が、セベ・バレステロスにそっくりだったからである。

 ところが語感の良さも手伝って、「バレ」という綽名は意味もわからず同級生の間に広がっていった。しだいにそれが本人の耳に入り、ついにS先生からその理由を尋ねられることになった。

 私は、生徒手帳に入れていたセベの写真を見せながら、雷が落ちることを覚悟して正直にその由来を説明した。

 すると、「バレ」は意外にもこう言うのである。

「俺もゴルフが好きなんだ。推薦人になってやる。ゴルフ部を作れ」

 歓喜した私はすぐに行動に移した。クラスメートや上級生にも声を掛けたのだ。

 しかし、当時、ゴルフをする学生など皆無であった。それに仮にゴルフに関心を抱いたとしても、バスケ部の「アンドー」やハンドボール部の「下田」のように、すでに兼部不可能な運動部に入っていることが大半だったのだ。

 結局、私はいつもと同じように、ひとりの練習に戻るのだった。

 しばらくすると、野球部用のトスバッティング専用のネットが、当時の私にとって貴重な練習場のひとつであることに気づいた。

 ネットの真ん中には白い円形のターゲットが張られている。それは、ちょうどアプローチの練習にふさわしいようであった。

 しかし、実際は、それは極めて困難な練習となる。なにしろゴルフボールを強打するわけにはいかない。なぜなら、的をはずせば小さなゴルフボールはネットを潜り抜け、高校のすぐ横を走る駒沢通りまで飛んでいき、「大惨事」を招くことが目に見えていたからであった。

 当然ながら、そのネットは、野球のボールは止めるが、ゴルフボールを止めるようには設計されていないのだった。

 部活が終わると、渋谷の居酒屋でのバイトの時間まで、そこで私は孤独な練習に励んだ。練習に関心を寄せる同級生などひとりもいない。その特殊なアプローチの練習を知っているのは用務員と、それを許すように手配してくれていた陸上部顧問の「バレ」だけであった。

 体育館裏での秘密練習の黙認だけではない。「バレ」はその顔つき通りに少年ゴルファーの味方だった。

「上杉だけは練習に参加しなくてもよろしい。俺が特別に許可する」

 ゴルフとアルバイトのために部活をサボりがちだった私、その私を叱る先輩たちに向けて「バレ」はこう宣言してくれたのだった。さらにこうも提案してくれた。

「おまえ、ゴルフのためにうちの部に入ったんだろう。だったら短距離よりも、長距離の方がいいぞ」

 実は、こうして私は長距離選手の道を選んだのだ。そして実際に「バレ」は、数多くの大会、特に駅伝などでは必ずレギュラーとして私を使ってくれたものだった。

――15番ロングホールに到達した。脚の痛みを押してティグラウンドに上がる。眼下には大海原が広がり、その先端の白波が川奈ゴルフコースの峻厳たる崖を洗っている。

 狙いはフェアウェイの一点、右クロスバンカーのすぐ横だ。痛む左脚に力を入れて、腰を早めに開く、数ホールぶりに出た快心のフェードボールは、思い通りの結果を出した。思わず逆立ちをする。

 3Wでのセカンドショットもぐらつく左脚を意識して振りぬいた。ボールはピンに向かって飛び、グリーンを3ヤードほどこぼして奥のラフに止まった。

 カップまではわずか約7ヤード、もちろんイーグルを狙う。

 長い上り坂のフェアウェイを歩いてきたためだろうか、さらに左脚の痛みが増している。

 アドレスを固定して、サンドウェッジで転がす。グリーンに着地したボールは、カップに向かって転がったが、直前でわずかに切れてカップの右縁で止まった。

 いよいよ3ホールを残すばかりだ。だが、もはや私の高校時代からの「夢」はその先にはなかった。左脚も限界に来た。私の「川奈」でのラウンドは、ここで事実上終了したのだった。

[ 第23回 終わり ]


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