上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.09.08


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18番ホールのティショットを打つと、
夕日に輝く土手に向かって走った。

  両ゴルフ場ともにその定休日にはゴルフ場を開放していた。朝イチで事前に料金を支払い、その後はセルフでのプレーとなる。当時は日付がマジックで書かれたカードをキャディバッグに結びつければ、日暮れまで好きなだけプレーできたのだ。

 とはいうものの、大宮CCが7500円、大宮国際CCが8000円、高校生にとっては決して安い金額ではない。そこで私は、前の週のラウンド後に拾い集めたカードを自宅に持ち帰り、日付ごとに偽造して、ラウンドの朝に備えたものだった。

 ラウンド前の大人たちが談笑しているところに歩み寄り、こう挨拶をするのだ。

「おはようございます。東京にある広尾高校一年の上杉といいます。もし、お邪魔でなかったら、きょうラウンドをご一緒させてもらってもいいでしょうか」

 こうやってスリーサムやツーサムのパーティに混ぜてもらえば、半ば成功である。

 親切なゴルファーたちは喜んでひとりでやってきた少年ゴルファーを仲間に入れてくれるのだ。確かに中にはキャディバッグの私のカードに疑いの眼差しを向ける者もいるが、大抵はそっと気づかないふりをしていてくれたものだ。

「ひとりで? 驚いたなー。東京から。親がゴルファーか」

 当時、ジュニアゴルファーの数は限りなく少なかった。ましてやひとりでバッグを担いでラウンドをしにくるジュニアゴルファーは皆無だったのである。だからだろうか、どのゴルファーたちも極めて親切にしてくれたものだった。

「お腹、空いただろう」

 そう言っておにぎりを差し出してくれた大人もいた。コース脇の移動弁当屋でランチを買ってくれた老ゴルファーもいた。自宅から持ってきたサンドイッチを分けてくれたご婦人もいた。

 みな、東京からやってきた怪しい少年ゴルファーに親切だったのだ。

 だが、その親切に甘えられるのも17番ホールまでだった。18番ホールのティショットを打った直後、別離が待っていた。

「すみません、用事があるんで、ぼくはここで……」

 私は、大抵こういい残すと、挨拶もそこそこに、夕陽に輝く土手に向かって、ガチャガチャとキャディバッグの音をさせながら走り出したものだった。

「おーい」

 ときに、背中に私を呼び止める声を聞くこともあった。だが、それこそ、私は大急ぎで河川敷を疾駆し、駅に向かって走るのだった。

 鼓動が高鳴る。全力で走りながら、時に涙が溢れることもあった。

 それは「泥棒ゴルフ」という自らの悪事への反省ということもあったが、むしろ18番ホールのセカンドショットを前にして、それを打てない悔しさに対しての方が大きかった。

 そうやって、私はコソコソしながら、ゴルフをし、きょうも同じくコソコソしながら原稿を書いているのだ。

 いま、小沢一郎の記者会見は終わった。

[ 第21回 終わり ]


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