上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.08.31


上杉隆 連載コラム

アスファルトのグリーンで
スコアだけを数えた新宿の夜

 当時、住友新宿ビルの三角広場の新宿パターをティグラウンドに見立て、私たちはその過酷なラウンドをスタートさせたものだった。

 道路の上で不規則に弾むティショット、アスファルトの歩道が見た目よりもずっと凹凸の激しいことを知ったのは、この戦いを始めてすぐのことだった。

 ある場所だけはピックアップの救済が許された。新宿警察署の前だけ、そこだけはボールをピックアップしてすり抜けることにしたのだ。

 それ以外は基本的にノータッチである。側溝にボールを落とさないよう、慎重かつ大胆に、私たちはパターでボールを転がし続けたものだった。

 百人町のラブホテル街、新大久保の韓国人の店が立ち並ぶ路地を抜けて、「サンコーCC」の戸山公園に達すれば、ゴールの高田馬場駅前ロータリーはもう間近だ。

 その頃になると、打数も70打、80打を超え、パッティング自体よりもスコアを数えることが目的化してくる。さらにはロストボールも発生し、脱落する者も現れる。

 そもそも一体、何のためにパターでボールを転がしているのか、自ら判然としなくなってくるのもその頃だ。

 警官に怒られ、タクシードライバーに怒鳴られ、売春婦に笑われ、それでも私たちはアスファルトの上のゴルフをやめることはなかった。

「ヨデブ」の話しからふと思い出し、私はかつての少年ゴルファーたちの「聖地」を訪ねてみた。

 最初のホームコースの「箱根山CC」は整備され、ほとんどその面影を残してなかった。

箱根山CCの1番ティ付近
※上杉氏が訪れた当時の“ゴルフ場”の様子。
中学校時代、勝手に「ホームコース」にしていた通称・箱根山CCの“1番ティ”付近。
現在は整備され、区民の憩いの場となっている(撮影:上杉隆)

 だが、わずかに「ブラウン」のあった平坦な場所だけが、排水設備の関係なのだろうか、当時のままに、鬱蒼とした茂みの中に残っていた。

ブラウン跡地
※グリーン代わりに使っていた“ブラウン”跡地。
排水設備の関係なのか、現在も往時の様子を留めている(撮影:上杉隆)

 私は、軽く素振りを行った。ここで何度、アプローチをしたことだろう。ブラウン脇のマンホール、そこを目印にロブショットを繰り返したこともある。公衆トイレ越えのショットの際の木は大きく育ち、もはや、狙えるような状態にはない。

 しかし、それ以外は当時のままだ。懐かしさを噛みしめて、ふと「ヨデブ」に電話した。

「おお。おれもサンコーCCに行ったばかりなんだ。元ブラウンのあった場所の写メールを送ったよ」

 何年経っても、私たちは少年ゴルファーのままである。考えることも、ダブルボギーの数も。

[ 第20回 終わり ]


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