上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」
2010.08.17
【第18回】
真夏の夜の「泥棒ゴルフ」
(前回のあらすじ)
日本を代表するジャーナリスト、上杉隆。彼は、1980年代、ひとりのゴルフが大好きな高校生ゴルファーだった。「大ちゃん」「鈴っちゃん」「イワオ」「ヨデブ」「エテパン」といった中学時代からのゴルフ仲間たちと上杉は、輝かしい青春の日々を、勉強よりも、恋愛よりも、ゴルフに夢中に、過ごしていた――。
晩夏に続く猛暑の日々に、
少年時代の夏の夜を思い出す。
猛暑日と熱帯夜の織り成す日本の夏。気温30度以上、直射日光が痛い真昼間、風もなく、言葉もなく、黙々と太陽の下を歩く男たちがいる。
仕事ではない。義務でもない。誰に命令されているわけでもなく、驚くべきことに、彼らはそうした過酷な時間を自ら選択しているのだ。
しかも、男たちはその試練のためにカネを払っているという、それも高額の――。
3週間続けて、週末のゴルフを愉しんだ。しかし、この時期である。愉しむどころではない。ゴルフをするにはあまりに過酷な季節なのだ。
熱風の中、コースに立つのがやっと。パッティング練習をしただけで汗が噴き出してくる。一緒にラウンドしている者も苦しそうに顔を歪めている。
「ゴルフダイジェスト」でもお馴染みの人気コース、ロペ倶楽部。せっかく栃木県までやってきてラウンドしているというのに8人の男たちに笑顔はない。
いや、半ズボンを履いた者だけは、若干、余裕の笑顔を見せている。だが、その快適さもブヨからの攻撃と引き換えに、という有様だ。
こうなってくるとバーディの快感よりも、日影の快適さを求めるというのが人情である。熱風よりも、夜風が恋しい。あの「枕草子」にもそう書いてあるではないか。
〈夏は夜、月のころはさらなりと――〉
清少納言はゴルフをやっていないだろう。だが、1千年も前にゴルフの精神はなぜかよく理解していたようだ。
〈――また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りてゆくもをかし 雨など降るもをかし〉
晩夏、清少納言の光るボールと夏夜の雨を空想しながら、四半世紀前の少年たちの夏の夜を思い出す……。
私たち少年ゴルファーにとって、夏休み中の夜はいつでも絶好のゴルフ日和だった。
日中、人目の多いところでは自由の許されなかった少年たちだが、ゴルフコースに夜の帷が降りてくるとともに果敢なアスリートに変身していく。
夜9時、アイアンを一本だけ持った私たちは、高田馬場駅前に集まった。それぞれ自転車やバイクに跨って一路、10キロメートル先の「聖地」を目指す。目的地は北区赤羽。そう、少年たちの「ホームコース」、赤羽ゴルフ倶楽部だ。
荒川の土手の下で再集合すると、私たちは声を潜めて、「ルール」確認を行った。
・クラブは一本だけ使用(逃げやすいように)
・ターフは戻し、バンカーもきちんとならすこと(証拠を残さない)
・ラウンド中に声を上げてはならない(通報されないために)
・とくにボールを打った直後は静かにする(ボールの着地音を聞くため)
・緊急事態発生の場合は速やかに退去すること(個別に逃走)
・仮に不幸にも拘束された場合は、仲間を守ること(ひとりだと言い張る)
夜風が荒川の河川敷を渡る。昼間の灼熱の中でのゴルフと違って最高のコンディションだ。やはり、夏のゴルフは夜に限る。「泥棒ゴルフ」という後ろめたささえなければ・・・…。