上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.07.20


上杉隆 連載コラム

リンクスの王者「大ちゃん」は
転がしの天才だった。

 私たちの「ホームコース」でもある河川敷の赤羽ゴルフ場は、天候によって風景を一変させるコースだった。普段は、平坦で決して難しいとはいえないコースが、風によって難度を上げる。

 激しく揺れる木々はまだ若い葉すら撒き散らし、潅木の隙間を縫う風が「ゴォーゴォー」と間断なく唸りを上げ、お互いの会話を奪う。旗竿は最敬礼するかのように強くしなり、グリーン上の止まっているボールも勝手に動き出す。

 アゲンストの風に向けたショットが普段の半分も飛ばないこともある。そう、ドライバーでの「テンプラ」がティグラウンドの数ヤード手前に落ちることもあった。また、サンドウェッジでのナイスショットが打った地点の後ろに落ちたこともある。

 私たちは自分たちの「オールドコース」がそうした厳しい状況になればなるほど奮い立った。「リンクス」特有の風を河川敷で身をもって学び、さまざまなショットを試すのだった。

「鈴っちゃん」と「ヨデブ」はどんなに風が吹いても、普段のショットと普段のハイボールで勝負したものだった。二人の頑なさは、あたかも今年の全英オープンでの石川遼のようであった。石川はグリーン周りのアプローチでもパターで転がさず、一貫してサンドウェッジを握った。リンクスの常識とは違った方法だが、それでも石川は結果を残した。

 ところが、当時、同じ10代とはいえ私たち少年ゴルファーは当然ながら「石川遼」ではなかった。練習量と技術力で劣っていたことは説明を待つまでもないだろう。さらに才能と自己分析の力において、二人は完璧なまでに勘違いをしていた。

 その結果、多くのショットは風に乗り、隣のホールか、もしくは荒川の水の中に消えていくのだった。

「イワオ」と私は別の形で「リンクス」の風に対抗した。いまで言うスティンガーは当時、一律でパンチショットと呼ばれた。そのパンチショットでアゲンストの風に低く向かっていくボールが打てた時、イワオと私はお互いに顔を見合わせ微笑んだものだった。だが、それは単に自惚れであり、他の二人と同じく勘違いに過ぎなかった。

 ニック・ファルドの1番アイアンやハル・サットンのドライバーショットと違って、私たちのパンチショットは、限りなく確率の低いものであった。打率は3割、いや2割を切ったかもしれない。

 私たちのスティンガーショットの多くは、クラブヘッドが上から入ってしまうためスピンがかかり、途中で上空高く舞い上がるか、もしくはボールの手前の地面を思いっきり叩いて、風と無関係に芝の上を可愛らしく転がっていくかのどちらかであった。

 イワオと私は、それでもニック・ファルドを目指して、低いボールを打ち続けた。だから、二人のアイアンセットが「ミズノ T-ZOID」のファルドモデルに換わるのは時間の問題であった。

 リンクスで俄然、力を発揮したのは「大ちゃん」であった。中学時代、野球のシニアリーグで活躍し、その俊足を活かしバントヒットの名手でもあった「大ちゃん」は、ゴルフ場でも転がしのマスターだった。

 大ちゃんはとにかく転がした。グリーン周りからは8番アイアン、50ヤードでも8番アイアン、100ヤードか、あるいはそれ以上の距離のアゲンストでは7番アイアンでピンに寄せるのだった。

 その転がしの技は徹底していた。大ちゃんのボールは風につかまる前に地面に伏せる。そして、他の少年たちがグリーンサイドで右往左往しているうちに、あっさりと転がしてカップに寄せ、静かに仲間たちのプレーを眺めているのだった。

 そのアイアンショットにおいて、大ちゃんは間違いなく「リンクス」の王者だった。風の中で微笑み、ボールと同じく舞い上がらず、淡々とプレーを進める。

 ところが、そんな大ちゃんにひとつだけ問題が残った。転がしの天才は、時にドライバーショットでも転がすことがあるのだ。

 そんな時、静かなるリンクスの王者は、バツが悪そうにフェアウェイに歩き出す。そして苦笑いしながらアイアンに持ち替え、低いながらもドライバーショットよりも遥かに距離の出る見事なショットを放つのであった。
[ 第15回 終わり ]


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