上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.07.20


【第15回】
東京都北区赤羽、我らが聖地!

上杉隆 連載コラム
(前回のあらすじ)
時はバブル前夜の1980年代、ジャーナリスト・上杉隆と「大ちゃん」「ヨデブ」「イワオ」「エテパン」「鈴っちゃん」といった個性的な仲間たちは、大都会・新宿に暮らすゴルフに夢中な高校生だった。勉強より、ゴルフ。デートより、練習場でのアルバイト。これは、脳内をゴルフに占領された少年たちの、青春ゴルフノンフィクションだ――。

引退するニクラスを見たさに
私はセントアンドリュースへ向かった。

 ジャック・ニクラスが引退するとあって、私はいても立ってもいられなくなった。

5年前の2005年夏、セント・アンドリュースで開催された全英オープンのことである。

 当時、事故による大怪我のためにリハビリに取り組んでいた私は、それでもオールドコースでのニクラスの雄姿を見たいという衝動を抑えることはできなかった。

 航空券を予約し、セント・アンドリュース大学の学生寮に宿泊先を探し、全英オープンの事前チケットを一部購入し、空路エジンバラへと飛んだ。目指すは少年時代からの憧れの地、セント・アンドリュースの町である。

 コースに到着するや、ひとりオールドコースを歩く。練習ラウンドといえ、すでに雰囲気は全英オープンそのものである。

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 脳梗塞発症前のセベの姿もあった。ギャラリーのサインに応じるワトソンの様子も窺えた。そして、目当てのニクラス、彼の姿を追って私は練習ラウンドから、練習場、そのすべてに帯同した。

 幸いなことに多くのギャラリーの目的はタイガー・ウッズか、地元のコリン・モンゴメリーにある。もちろん引退表明をしているニクラスにも集まるが、それは予選ラウンドが始まってからのこと、練習ラウンドではさすがにそんなに多くはなかった。

 RBS(ロイヤルバンク・オブ・スコットランド)がニクラスに敬意を表して「特別紙幣」を発行していた。英国人以外では初だという。私は少年時代の仲間たちのために、コース内銀行の窓口に行列して、ポンドと換金した。

 オールドコースにやって来たのだという興奮と、ニクラスに直に触れた喜びで、実はその時のことをよく覚えていない。

 ただ、予選2日目の夕方、18番ホールにやって来たニクラスがスウィルカンブリッジの欄干に足を掛けてポーズを取り、その後、大歓声の中、涙を拭きながらグリーンに向かって歩いてきたシーンだけははっきりと脳裏に刻まれている。まるでそのシーンを見るためだけに、リハビリをサボり、治療費を節約してスコットランドまで行ったかのように――。

 すべてのゴルファーにとって、セント・アンドリュース・ゴルフ・リンクス・オールドコースは特別な存在であろう。

 そこが、ゴルフの"総本山"である「R&A(ロイヤル&エインシェント)」を戴くからそう思うのではない。

 少なくとも近代ゴルフ発祥の地として、数多くの「伝説」がそのオールドコースで誕生し、また、往年の名プレーヤーたちがリンクス特有の風と闘った末に刻んだ「伝統」があるからこそ、特別であるのだ。

 そのオールドコースに対する特別な想いは、もちろん、私たち少年ゴルファーにとっても例外ではなかった。

 風の強い早朝、荒川の河川敷コースに立つ私たちは、これからラウンドするであろうコースを眺めていたものだった。

 荒天に嘆くことは一切ない。むしろ私たちは喜びのあまり、微笑んでさえいたものだった。風が吹けば吹くほど、そこは私たちにとって望むべく特別なコースに近づいていったからだ。


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