上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.07.13


上杉隆 連載コラム

全英オープン最終日、18番ホール
セベのガッツポーズに泣いた

 私の頭の中は四六時中、セベに支配されていた。

 朝、通学のために高田馬場駅から山手線の満員電車に乗り込むと、すばやくつり革を握った。

 15分間の地獄のラッシュの中、私の手だけが他の乗客と違っていた。つり革の私の手はまさしく美しいセベのグリップの形そのものであった。少なくとも私自身はそう思っていた。

 恵比寿駅に到着してからも、セベは私から離れない。高校までの通学路、私はセベを意識した踵から着地する大股の歩き方で、同級生たちを追い抜いて正門に向かって歩いたものだった。

 学校に到着してからも、セベは私に取り憑いていた。

 始業前や昼休みになると、掃除用具入れに隠していた7番アイアンを持ち出し、牛乳パックをボールに見立てて、私は広尾のセベになった。教室の後ろで(私のクラスであるG組だけがなぜか教室が極端に広かった)、同じ中学からの唯一の同級生のアンドウと一騎打ちを繰り返した。

 中学時代と同様、同級生たちは奇異な目でこちらを見ている。とくに女子学生からは明らかな困惑の視線が浴びせられている。

 だが、当時の私はすでに「セベリアーノ・バレステロス」というひとりのスペイン人であった。女子からの冷たい視線も、勝手に憧れの眼差しに自分自身の中で変換していたのだった。

 スペインの闘牛士のごとく、空の牛乳パックに挑みかかり、窓の隙間を狙って強打する。その度に、「バーンッ」という小さくない音が教室内に響き渡る。

セベ・バレステロス
※1984年の全英オープン、優勝を決めて笑顔のセベ・バレステロス。
英国を遠く離れた日本で、その優勝シーンを観て感涙にむせぶ16歳がいたことを知るものは少ない――。

 みんなの視線が集まる。気にしない。私は孤独なゴルファーなのだ。そう言い聞かせて、牛乳パックを打ち続けた。

 そんなことで、担任も私がゴルフをすることが記憶に残っていたのだろう。林間学校中の学生のありえない陳情にあっさりとこう答えたのだ。

 「あ、君か。君はゴルフやっているんだよな。そこに座ってみていればいい」

 私は部屋の入り口でスリッパを脱がず、そのまましゃがみこんだ。

 ちょうど、セベが18番ホールをプレーしている。実は、私はセベのガッツポーズしか記憶にない。教師の部屋に入って緊張していたのと、セベのプレーに興奮していたことが混ざって記憶が曖昧なのだ。

 あるいは後に読んだ、週刊パーゴルフに掲載されていた三田村昌鳳氏の記事の中で、当時のことを思い出し、記憶が混合しているのかもしれない。

 バレステロスが、興奮して一気に喋りまくっていた。

 「最後の、ホームストレッチにやって来て、17番ホールが、私にとってひとつの大きなキーになったと思う。まず、このホールはパーで切り抜けなくてはいけない。それだけが、頭にあった。
 私の計画は、順調に進んでいた。ゲームの流れは、自分のイメージ通りだった。私が、17番ホールをパーで切り抜けて、18番ティグラウンドに向かって行くときだった。後からやってくるワトソンが、17番のティショットをフェアウエーど真ん中に打ったのが見えた。ひょっとするとワトソンが、バーディを狙ってくるかもしれない。
 私は、自分のゴルフの内容と、ゲームの流れから判断して、18番は、是が非でもバーディを取りたいと思った。
 そして、結果的に、私は思い通りのバーディを取ることができた。
 えらく興奮したのは、そのためなんだ。もうどうしようもなく、自然にガッツポーズが出てしまったんだ」

 セベが繰り返しこぶしをセントアンドリュースの空に突き上げた。何度も何度も繰り返し突き上げ、白い歯を見せた。紺色のセーターに紺のスラックス、白いポロシャツ姿のその勇姿が、教師たちの部屋のテレビ画面から流れる。

 唯一のゴルフ好きの化学教師が、「おーっ」と歓声を上げた。

 玄関脇の畳に腰掛けていた私も思わず立ち上がって、ガッツポーズを繰り返していた。

 R&Aの建物の前でのセベの勇姿に、16歳の私は涙ぐんでしまった。ゴルフにあまり興味のない体育の教師がこういった。

 「なんだ、おまえ、泣いているのか。変わってる奴だな」

 すぐに私は部屋に戻った。その直後、ワトソンの追撃は実らず、セベ・バレステロスが、二回目の全英オープンのカップを手にすることになった。

 蓼科から東京に戻った私はすぐに渋谷の丸井ヤング館に向かった。

 勿論、紺のセーターと紺のスラックスを買うために――。
[ 第14回 終わり ]


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