上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.07.13


【第14回】
16歳の夏、僕はスペイン人だった。

上杉隆 連載コラム
(前回のあらすじ)
時はバブル前夜の1980年代、ジャーナリスト・上杉隆と「大ちゃん」「ヨデブ」「イワオ」「エテパン」「鈴っちゃん」といった個性的な仲間たちは、大都会・新宿に暮らすゴルフに夢中な高校生だった。勉強より、ゴルフ。デートより、練習場でのアルバイト。これは、脳内をゴルフに占領された少年たちの、青春ゴルフノンフィクションだ――。

林間学校の「危険な誘惑」
教師に立ち向かった夜

 運の悪いことに、その夜は林間学校の日だった。

 その週末、私は長野県の蓼科で高校の夏季研修に参加していた。夏季研修と言っても名ばかりである。

 昼はハイキング、オリエンテーション、夜はキャンプファイヤーと花火、肝試しとお決まりのイベントが連なる。そのすべてをこなした後、同級生たちは明日のためにそれぞれの部屋に戻っていく。

 どこの高校の林間学校でもそうであるように、都立広尾高校の「蓼科寮」の夜も、当然にそれから本番が始まるのだった。

 密かに酒を回し、タバコをふかしている軽音部の友人たち、どうやって女子の部屋に忍び込むかの算段を練っているテニス部の面々、猥談や怪談に奇声を上げているその他の同級生たち――。

 誰もが、時折、見回りに来る教師たちの様子を慎重に伺いながらも、それぞれの楽しい夜を過ごしていた。

 各グループの見張り役が合図を送ると、クモの子を散らすようにみな布団や押入れの中に隠れる。暫くして教師たちが部屋に戻り、テレビの音が聞こえてくると、再び活動を開始する――。

 そんなことを何度か繰り返した後だった。自らもまた夜を楽しみたい教師たちは、ひとつの部屋に集まって酒盛りを始めたのだ。見回りも緩くなり、それに乗じて各グループの活動もまた活発化していった。

 ちょうどその頃、私自身はガールフレンドと寮を抜け出し、湖の方まで歩きながら、満天の星空を見上げていた。蚊と蛾の攻撃を避けながら、ゆっくりと帰途に着く。女子部屋の前まで彼女を見届けた後、私はどうしても「危険な誘惑」に抗し切れなくなった。

 そのため、自ら教師の部屋に近づいていったのだ。

 教師たちはすでに出来上がっていた。なにやら大声で話している。とはいえそこは教師である。酔っ払いながらも、ドアを開けて、僅かな隙間から覗いているひとりの学生の姿に気づかないはずはなかった。

 「なんだ、お前は! 何やってんだ、部屋に戻れ!」

 怒声が飛ぶ。廊下で私の様子を見ていた同級生の頭が一斉に引っ込んだ。私は意を決してドアを開き、酒臭い教師たちの部屋に入っていった。

 「なんだ、何かあったのか!」

 酒盛りの様子を見られて立場もなかったのだろう、畳に座っていた2、3人の教師が一斉に立ち上がり、私を部屋の外に押し戻そうとした。

 まだ高校1年生、入学して3カ月にもなっていない最初の夏のことである。学生と教師の力の差は圧倒的だった。 内心、圧倒されながら、私は意を決してやっとの思いで言葉を吐いた。

 「テレビ、テレビを見せてほしいんですけど……」

 当時、蓼科寮のテレビは教師の部屋に一台だけしか置いていなかった。

 教師たちが酒盛りをしている部屋のテレビ画面には、私にとって何よりも大事な番組が流れていた。

 セントアンドリュースオールドコースでの全英オープン、そう、ちょうどその夜が最終日の放送だったのだ。

 1984年の夏、セベ・バレステロスとトム・ワトソンの一騎打ちとなったオールドコースでの戦いの決着は、日本時間で深夜にもつれ込んだ。

 林間学校の最中も全英オープンが気になって仕方なかった。とくにバレステロスの活躍は、当時の私にとっては何よりの一大事であった。そのセベが、まさにいま優勝を目指して18番ホールに向かっているのである。

 生徒手帳の定期入れ用のクリア部分に、女性歌手やアイドルではなく、男性の写真を入れていた高校生は、当時の日本でそう多くはなかっただろう。確かに、実家近くの新宿2丁目に行けばそうした男性がいないこともない。だが、少なくとも、プロゴルファーの写真を定期入れに忍ばせた高校生を私は知らない。別々の都立高校に通う「エテパン」と「鈴っちゃん」と私の3人を除いては――。

 当時、セベリアーノ・バレステロスは紛れもなく私の中の最高のアイドルだった。


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