上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.06.29


【第12回】
都立広尾高校1年G組上杉隆、「大人たち」との2年戦争

上杉隆 連載コラム
(前回のあらすじ)
1980年代、ジャーナリスト・上杉隆と「大ちゃん」「ヨデブ」「イワオ」「エテ」「鈴っちゃん」といった個性的な仲間たちは、大都会・新宿に暮らすゴルフに夢中な中学生だった。中学の教室で、近所の空き地でゴルフの日々を過ごした彼らに卒業の時が訪れた。少年たちの青春ゴルフノンフィクション、高校編スタート!

ペブルビーチで出逢った
"真のゴルファー"。

 真のゴルファーにとって、ゴルフはあらゆることに勝る。

 どんなに時間が無かろうが、どんなに仕事で疲れていようが、どんなに家族からの抗議の声が届こうが、そこにゴルフ場のある限り、芝の上を歩く衝動に抗することはきわめて難しい。

 米カリフォルニア州ぺブルビーチGLでの全米オープン取材の前後、ともに旅をした写真家の野村誠一氏こそ、まさしくそうしたゴルファーのひとりだった。

 初日の朝、サンフランシスコ空港に到着するなり、野村氏はこう発したものだった。

「午後の撮影まではまだ時間があるよね。ねぇ、上杉さん、どこかでゴルフできるんじゃない」

 実際にその言葉から1時間後、野村氏と私は、米国最古のゴルフ場のひとつ、「デルモンテGC」のスタッフに100ドル紙幣を渡していた。

 2日目の朝、睡眠時間もそこそこに跳び起きた野村氏と私は、夜明け前の「スパニッシュベイGL」の一番ホールに立っていた。

 朝の太陽が照らす直前、野生の鹿がゆっくりとフェアウェイを歩いている。野村氏はそれを避けるように太平洋に向かってドライブを放った。時差ボケを感じさせない290ヤードのショットが2ラウンド目の合図だった。

 同じ日の夕刻、私たちは「スパイグラスGC」の魔法のように美しい芝の上を歩いていた。18番ホールに来た頃には、長旅の疲れと時差ボケにより、さすがに私たちの会話も少なくなっていた。

 翌3日目の朝、強風の中を目覚めた私たちは、「パシフィックグローブGL」のクラブハウスで簡単な朝食を済ませると、4ラウンド目のティグラウンドに向かった。

 昼過ぎ、写真撮影を済ませた野村氏は、サリナス近くの「ブラックホースGC」の難しいグリーンに苦戦している。わずか2日半で5回目のラウンドとなった。

 還暦直前の野村氏、翌日から始まる全米オープン取材を前に、体力を使い果たしてしまわないのか、さすがに心配でならない。

 だが、それは杞憂に過ぎなかったようだ。

 トーナメント終了後の月曜日、野村氏はカメラ機材など大量の荷物のパッキングを終えると、ゴルフバッグだけはそのままにしてレンタカーに詰め込んだ。目的地は空港ではなく、ゴルフダイジェストの岩井氏に紹介してもらったカーメルのプライベートコースである。

 そこで、当たり前のように1.5ラウンドをこなした野村氏は、この日2度目となる18番ホールでのパッティングを終えると、沈みゆく太陽の日差しの中でこう言い放ったのである。

「ねぇ、練習場に行く時間、あるかな?」

                 ※

 ゴルファーには昼も夜もないのである。ゴルフ場があれば、私たち少年ゴルファーはいつでも芝の上を歩いたものだった。いや、ゴルフ場がなくても、クラブとボールさえあれば、私たちのトーナメントは間違いなく開催された。

 高校生になった私たちは、いよいよ本格的にゴルフに取り組むことになった。とはいうものの進路はみな別々だった。

 新宿シニアリーグでならした「大ちゃん」は、すべての野球推薦を蹴って、群馬のゴルフ場(ルーデンスCC)で研修生の卵として、働くことになった。

 ゴルフ部のある高校(私立目黒高校)に行ったのは「イワオ」のみ、あとは誰一人その種の環境に恵まれることはなかった。

 当時、ゴルフはほとんどスポーツとして認識されていなかった。むしろ不健全な社会悪として見られていた節がある。時代はバブル期直前、ゴルフ場は純粋にゴルファーのためにあるのではなく、ほとんど投機目的の会員権売買を行う個人投資家のために存在した。

 さらに乱開発による環境破壊、害虫駆除のための農薬問題なども社会問題化していた。また、賭けゴルフ、接待ゴルフなど日本におけるゴルフのイメージはおそらく世界中で最悪であっただろう。

 ゴルフを最低のスポーツに貶めた「戦犯」は、もちろん当時の日本ゴルフ協会を筆頭とする大人たちであった。だが、最大の被害者は、私たちのようなジュニアゴルファーであった。

 当時、高校生がゴルフという「大人たちの不健全な娯楽」をすることなど贅沢であり、はなはだしい勘違いだと思われていたのだ。実際、練習場やゴルフ場に行っても、ジュニアゴルファーは「立ち入り禁止」という場所がきわめて多かった。

 現在、JGAやゴルフ界の諸先輩たちは、「ジュニア育成に注力してきた」などと称して、子供たちの活動にいかにも理解を示しているフリをしているが、それはまったくの美辞麗句である。かつては私たちのようなジュニアゴルファーは日本のゴルフ界にとって邪魔者に過ぎなかったのである。


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