上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.06.22


【第11回】
中学生がゴルフ場を作る方法【後】

上杉隆 連載コラム
(前回のあらすじ)
約四半世紀前、ジャーナリスト・上杉隆と「エテパン」「イワオ」「大ちゃん」ら5人の仲間たちは、大都会・新宿に暮らすゴルフに夢中な中学生だった。高校受験の足音が迫る中学三年の春、少年ゴルファーたちは地元のスーパー「サンコー」の敷地を勝手に利用した「サンコーCC」で、数々の困難を乗り越えながらも、登校時間ギリギリまで“トーナメント”を楽しんでいた――。

ペブルビーチの全米オープン取材で、
少年時代の夢をひとつ叶えた。

 ぺブルビーチにやってきた。

 カルフォルニア州モントレー半島の突端、太平洋の波洗う全米屈指のゴルフリゾートだ。かつては米国のセレブたちの集うビング・クロスビー・プロアマ大会の舞台でもあり、大富豪とゴルファーにとってはまさしく至上の楽園である。

 太平洋の夕陽を眺める絶好のロケーションには、少年時代、テレビ画面でそれらを観ながら、勝手に憧れを抱いた超有名ゴルフコースが並んでいる。

 スパニッシュベイGL、サイプレスポイントGL、スパイグラスGC、そしてぺブルビーチGL――。

 そこらでプレーするには少しばかり条件が必要だ。ぺブルビーチGLならば、495ドルのグリーンフィと最低700ドルの宿泊料、さらには「17マイルストリート」と呼ばれる半島一帯の環境保護地区に入るための9ドル50セントも不可欠だ。

 だが、最後の9ドル50セントだけはなんとか無料にする方法がある。最低価格でわずか1億5千万円ほどの豪邸か、あるいは入江に浮かぶ大型クルーザーのオーナーになればいいだけの話だ。

 今回、私がこのぺブルビーチにやってきた目的は、残念ながら不動産物件や中古クルーザーを探し求めることではない。仮に、良い物件に巡り合えたとしても、残念ながら、私の親戚にビングクロスビーはいない。

 私は今回、第110回全米オープンの取材、ゴルフダイジェストの特派記者としてこの地を訪れている。

 昔、私たち少年ゴルファーの夢といえば、きわめてはっきりしていた。

 それは、オーガスタでのマスターズ、セントアンドリュースでの全英オープン、ぺブルビーチでの全米オープンに行くこと。それだけではあったが、当時は、途方もない夢であるように思われたことは確かだった。

 トーナメントが開催される度に、次のような会話が交わされたものだった。

「10年後には、絶対、俺が行っている」

とエテパンが言えば、

「俺が最初に行っているよ。その時はキャディとしてバッグを担がせてやるよ」

とイワオが応える。そして大ちゃんが

「残念だな~。僕が最初だな~」と嘯く。

 現実を知らない中学生にとっては、儚い「夢」を追うことこそがゴルフを続ける最大の原動力になっていたのだ。

 そして当時、私たち中学生ゴルファーの中で最強の「妄想」を誇る私がいま、その夢を叶えようとしている。選手としてではなく記者としてだが、私は確かにぺブルビーチGLの18番ホールに立っている。

 あれはいったい何の試合だったか、今となってはさだかではない。遠い記憶だ。時系列も定かではない。しかし、ここ18番ホールでのグレッグ・ノーマンの放ったセカンドショットだけは今だに記憶に深く刻まれている。

 長い距離を残したセカンドショット。ほとんどの選手がレイアップする中で、ノーマンは果敢にも3番ウッドを手に取った。ボールを少しでも左に曲げれば、太平洋の藻くずとなる。一方、右に逃げればラフとバンカーでさらに予想のつかないトラブルが待ち受けている。

 アドレスをするノーマンの姿がテレビ画面に映る。太平洋に落ちる美しい夕陽の中、逆光のシルエットが躍動して、足元のボールを強打した。結果はツーオン。みな、それ以上のことは覚えていない。だが、それだけで十分だった。

 


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