上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.06.15


【第10回】
中学生がゴルフ場を作る方法【中】

上杉隆
(前回のあらすじ)
 約四半世紀前、ジャーナリスト・上杉隆と5人の仲間は、新宿・戸山公園をゴルフ場に見立てた、“箱根山CC”でゴルフを楽しんでいた。しかし、箱根山CCはある日突然工事により閉鎖。少年ゴルファーたちは、すぐさま近所のスーパーの敷地を「サンコーCC」と命名。13人に増えた仲間とともに、早朝トーナメントの開催をはじめた!

夜明け前にホームコースに集結し、
陽が昇ると同時にスタートした。

 「トーナメント」は、約25年ぶりに開催された。

 都心に近い赤羽ゴルフ場は電車でも通える荒川河川敷の代表的コースのひとつだ。この春、そこに参集したのは40歳を超えた元少年ゴルファーたちである。久しぶりに集まった私たちは、スタート前からはしゃいでいた。

「おい、このカレーライス、まだメニューに載っているぞ」

「そういえば、イワオ、あの土手の上から勝手にボールを打っていたよな」

「そこだろう、エテパンがキャディバッグのカバーをなくして、探しにいったところ」

「あの池だよな。コバがクラブを投げ込んだのは……」

 四半世紀前、少年ゴルファーたちの戦いの場であった赤羽ゴルフ場は、往時の面影を色濃く残しながら、私たちの回想を手伝ってくれていた。

 風呂場の窓の破れも、クラブハウスの錆びついた手すりも、何一つ変わっていない。すべてが懐かしく、大ちゃん、鈴っちゃん、ヨデブ、そして私の4人は、スタート前から当時の思い出話に浸っていた。

 ただ、一点だけ変わったことがあった。それは、受付のおばちゃんたちである。

「泥棒ゴルフ」を繰り返す私たちを見逃し、飲み物の分量をサービスしてくれ、時にはどうしたことかグリーンフィまでまけてくれた、あのおばちゃんたちの姿がないのだ。代わりに若い女性スタッフが受付に立つ。私たちも歳を取ったが、赤羽ゴルフ場も歳を取ったのだ。

 中学校3年生になると私たちの朝は日増しに早くなっていった。夏は4時半、冬でも6時過ぎには起きて、身支度を整えたものだった。もちろん、高校受験のための勉強をするわけではない。一応、通学用のバッグを持つものの、もう片方の手には当然のようにゴルフクラブが握られていた。

 サンコーCCが完成してからというもの、少年たちは夜明け前からその新しいホームコースに参集したものだった。

 薄暗い中、私たちは声だけで仲間を確認する。次に、街灯の下の「ブラウン」に向かって、各々アプローチの練習を始める。東の空が白んでくる頃には、試合に参加する「選手たち」も揃ってくる。そして、はっきりボールを確認できるまでくらいまで陽が昇れば、さぁ、トーナメントの開始である。

 サンコーCCはまさに天国のようなゴルフ場だった。箱根山CCがリンクスだとしたら、程よく整備されたそこは、少年たちにとってのオーガスタナショナルGCであった。

空間が拓けているため、私たちは至る所にティグラウンドを設定することができた。「ブラウン」に向かってダウンスロープが続く短いパー3、花壇の上から遊歩道越えにカップを狙うパー4、早大理工学部脇の芝生がティグラウンドのホールは、木越えか、迂回かで悩む難関パー5であった。

 そうしたホールに来ると、俄然、〝ヨデブ〟が張り切ったものだった。

 ヨデブは、母親のゴルフセットから無断で拝借してきたサンドウェッジを駆使して、高弾道のショットを連発していた。そのウェッジは、当時にしては驚くほどのロフトがあり、ほとんど飛ばない代わりに恐ろしくよく上がるショットを打つことができた。

 さらに、女性用のクラブということもあって、グリップが細く、シャフトも軟らかいため、私たちはその特製サンドウェッジを奪い合ったものだった。


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