上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.06.08


上杉隆

新しいコースが完成するとともに、
仲間はどんどん増えていった。

 ある日、教室でいつものようにゴルフ談義に花を咲かせていた「イワオ」が、突然、重要な情報を明かした。

「この前さ、『サンコー(スーパーマーケットの名前)の裏の広場に素振りに行ったけど、アプローチできるぜ、あそこ。ピッチングならフルショットもできる。早朝ならきっと誰もいないはず。行こうぜ」

 翌朝、私たちはまだ太陽の昇る前の薄暗い空の下、自転車のペダルを踏んで、その噂の「新天地」を目指した。

 中学校とは目と鼻の先、明治通りを挟んだその広場は最適といえば最適の「ゴルフコース」だった。公園中央の広場は80メートル四方の大きさしかないものの、その周辺の公園敷地全体でみれば、200メートル四方の空間が広がる素晴らしい環境であった。

 またちょうどその頃、公園の一部が「新宿スポーツセンター」の建設予定地になるという幸運も重なった。広場の脇で始まった造成によって、ホームコースに適した条件が加味されたのだ。

 つまり、それは、それまでスーパーへの買い物客が通って、子供たちの遊び場であった広場が、工事のために歩道が閉鎖され、まさしくゴルフをするような環境が整ったということを意味する。

 さらに翌日、私たちは早速「ゴルフ場」造りに取り掛かった。すでに「コース設計」は前日の放課後に済ませている。少年たちはさらに現地を視察しながら「ホームコース」の完成を急いだ。

 6人のうちの誰一人、広場中央に二つの素晴らしいマウンドが存在するのを見逃してはいなかった。その丘陵に挟まれた場所にグリーン、換言すれば「ブラウン」を作ることに異論はなかった。

 この新しいホームコースは、消滅した「箱根山CC」の土壌と違って地面が柔らかく、コース造りに適していた。ブラウンもボールが跳ね上がることが少なく、傾斜に沿って自然に転がった。箱根山CCのように雨水の通り道が地面に何本もの溝を刻むということもなかった。

「ブラウン」周りのスロープには芝生保護用のラバーが埋め込まれているため、斜面に落下したボールはうまい具合にカップの方に寄っていく。そのダウンスロープを狙って、ボールを寄せていくショットは、「大ちゃん」の得意技にもなった。程よい感じのこの「ブラウン」は、その新しいゴルフ場の象徴でもあった。

「ブラウン」さえできれば私たちの「ホームコース」は半ば完成したようなものだった。ティグラウンドは前のホールの勝者が決めるという「規則」に変更はない。しかも、今度のホームコースはフルショットも可能だ。早稲田大学理工学部脇の花壇をティグラウンドにすれば、全長300ヤードのショットも可能だった。

 時季は中学三年生の春のこと。少年たちは毎朝、授業前にこの新しい「ゴルフ場」に集まったものだった。サッカー部員の私も、野球部員の大ちゃんも、前年の夏の都大会予選を最後に部活から引退していた。そうしたこともあって私たちの「ツアー」はますます活況を呈していた。

 そして、ついに、そのゴルフ熱は中学校の教室にまで伝播していった。夏も近づくと参加する同級生の数も増え、高校受験を重視していない者、そもそも高校に行くつもりのない者が、次々と私たち少年ゴルファーの仲間入りを果たすようになった。

 大きな体で小さなスウィングをする勉学でも天才の"コミ"、古本屋の倅でいつもお洒落な服を着ている"アンドウ"、マージャンとゴルフを愛するオヤジ中学生の"むーちん"、音楽を愛し、ポップな画を描いていた"こいっく"、高田馬場商店街屈指の文房具店「マルシメ」の息子"ゆーじ"、早稲田大学グランド坂下の甘味屋の秀才"たおちん"、そして、暴走族「新宿統慎」8代目総長の"コバ"も、集団暴走行為とケンカの合間に参加するようになっていった。

 それが、いつの頃からだったか、記憶にはない。ただ、私たちはこの「ホームコース」を、近くのスーパーマーケットの名称から「サンコーCC」と呼ぶようになったのだった。

 こうして13人に膨れ上がった新宿の少年ゴルファーは、ヒヨドリかどうかは知らないが、小鳥のさえずる早朝から、連日のトーナメントをこの「サンコーCC」で開催することになった。

[ 第9話 終わり ]


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