上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.06.01


【第8回】
さらば「箱根山CC」。

上杉隆
(前回のあらすじ)
 ジャーナリスト・上杉隆は1980年代、ゴルフに夢中な中学生だった。大ちゃん、ヨデブ、鈴っちゃん、イワオといった仲間たちと上杉は、新宿・戸山公園をコースに見立てた「箱根山CC」をホームコースに、日夜クラブを片手に新宿の街を走り回っていた――。

僕たちのホームコースは、
ハザードだらけの難関コースだった。

 数年前、栃木県の皐月ゴルフ倶楽部佐野コースを回ったことがある。アウト38、イン37のパー75、パー5以上が5ホールある不思議なゴルフ場だった。

 圧巻は7番ホールの964ヤードのパー7。ティグラウンド脇のホール案内図には「ギネスブック認定の世界一長いホール」と書いている。そこまで堂々と書かれているのだから、確かにそうなのだろう。

 ドライバーを含めてウッドを4回振り回せばイーグルチャンスもある。だがセカンドショット以降からは左右に0Bも出現する。いずれにせよ、途中からは練習場の感覚で、スプーンを持ちながらフェアウェイをひたすら歩くことになる。

 その日、同伴者はみな長い嘆息していた。なにしろ約1キロメートルも歩くのである。退屈でないこともない。だが、私だけは慣れたものであった。それ以上のロングホールを少年時代から何度も経験していたからだ。

 少年たちのホームコースであった「箱根山CC」は、屈指の難関コースだった。ハザードのないホールはひとつとしてない。フェアウェイにボールを運んだとしても少しも安心できない。なにしろフェアウェイは通常のゴルフ場のラフの芝よりも深く、そうでない場所も裸地であることが多かったからだ。

 よって、仮に完璧なショットを放っても、大抵は重力の関係でボールは裸地に転がり、しかも悲惨なことに、〝スズメの帷子〟などの強固な雑草の脇に寄りかかるようにして止まるばかりであった。そのため、フェアウェイからのショットでも、常に高度な技術が要求された。つまり、早い話がすべてディボットからのショットになるのである。

 また、前ホールの勝者が次のホールのティグラウンドを指定できるルールのため、時に、一発逆転を狙ってとんでもない場所にティアップを考える輩が登場した。

 そうした博徒のような「コース設計」の常習者は決まって「ヨデブ」であった。

 普段はおとなしく無口な中学生のヨデブだが、ことゴルフのことになると変貌する。強烈なフックボールを打ちまくり、ピンだけをまっすぐに狙うアーノルド・パーマーも驚くような超攻撃型ゴルファーに変貌するのだ。

「箱根山CC」の目の前のマンションに住んでいたヨデブは、このコースをもっとも知り尽くす「選手」のひとりであった。彼にとっては通学路でもあった戸山公園――。その全体図、立ち木の位置、潅木の場所、アスファルトの道路に転がり出るようなハザードの数々を、ヨデブはもっとも知悉していた。

 よって彼が前のホールで勝利を収め、さらにスコアで誰かにリードを許している時など、とんでもないホールを「設計」することがしばしばだったのだ。


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