上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.05.25


【第7回】
僕らがゴルフに恋した理由。

僕らがゴルフに恋した理由

(前回のあらすじ)
 ジャーナリスト・上杉隆は、かつてゴルフに夢中な中学生だった。本コラムは、そんな上杉と、同級生の5人の仲間が織り成す、おそらくは本邦初の「青春ゴルフノンフィクション」だ――。

ゴルフ史を振り返る作業は、
思いのほか困難を極めた。

 世の中のすべての事象には起源がある。

 宇宙にも、地球にも、人類の歴史にも始まりがあった。世界の覇権を握ったローマ帝国も、大英帝国も、そして現代の米国にも、やはりそれぞれの起源があった。

 もちろん、私たち少年たちの愛したゴルフとて例外ではない。ゴルフはもっとも長い歴史を持った球技のひとつであり、世界中で行われているスポーツの代表格である。

 1457年、スコットランド政府によって「ゴルフ禁止令」が敷かれたことから、すでに15世紀には近代ゴルフの原型が整っていたことは判明している。19世紀中庸までには、その単純ながらも困難なスポーツは、英国中に広がった。1860年には第一回の全英オープンが開催されるまでになっている。

 ただ、このゴルフという球技の発祥となると「諸説」あるようだ。オランダ説、スコットランド説、中国説、はたまた古代ローマ帝国説にいたるまでそれは多様である。

 とはいえ、近代ゴルフは、オランダで生まれスコットランドで育ったという説で定着しているようだ。また、いまやそのスポーツを発展させたのはアメリカ合衆国という点でも異論はないだろう。

 ところが世界唯一の超大国と化しているその米国だが、ゴルフの歴史は思ったよりも短い。1887年、製鉄工でスコットランド移民のジョン・リードが、その新大陸に6本のゴルフクラブを持ち込んだのが最初だ。これが米国ゴルフの起源である。

 翌1888年、リードは、ヨンカースの牧草地に3ホールの手作りコースを作り、5人の友人たちを招待した。6人の米国人ゴルファーはさらにコースを広げ、そこを「セントアンドリュース・ゴルフクラブ・ヨンカース」と名づけた。

 1892年になると、リードは近くのリンゴ園を買い取り、よりマシな6ホールのゴルフコースを完成させる。13人に増えたメンバーは、そのリンゴ園で、米国本土初となるゴルフクラブを発足させた。彼らは「アップルツリー・ギャング」と呼ばれ、米国ゴルフの「始祖たち」として、当時の月刊誌「センチュリーイラストレイテッド」にも記録されている。

 その僅か9年後の1901年、日本のゴルフ史も起源を迎えている。神戸・六甲に造られた4ホールのコースは、2年後にはメンバーを増やして、「神戸ゴルフ倶楽部」として発足している。

 神戸・六甲から遅れることたった80年、東京・新宿でも6人の少年たちがゴルフを始めている。

 80年の歳月などローマ帝国や大英帝国の歴史からすれば、ほんの一瞬のことである。ましてや宇宙や地球の悠久の時間軸の中で考えれば、スコットランド王も、米国の「アップルツリー・ギャング」も、神戸のゴルフ紳士たちも、私たち新宿の少年ゴルファーたちでさえも、同じく塵のような存在で、さして変わりはない。

 大都会・新宿にゴルフをもたらした6人の少年ゴルファーの起源は謎に満ちている。謎と言っても、日本の外務省のように密約文書を廃棄したわけでもない。

 なんのことはない、少年たちの記憶が曖昧で「いつ、どこでゴルフを始めたか」、杳としてわからないのである。

 自分たちのゴルフ史を振り返る作業は、困難を極めた。それでも私は、少年時代の証言を集める、簡単ではあるが気の進まない作業に取り掛からなくてはならなかった。

 その理由は人類のため、あるいは後世のゴルファーに伝えるため、という使命感から発せられたものではない。単に、ゴルフダイジェストの大川記者がそれを要求したからに過ぎない。

 そんな中、当時のガールフレンドからの証言を得ることに成功した。

「あなたたち、毎朝ゴルフクラブを持って登校していたわよね」

 そうだった。私たちは教科書の代わりにゴルフクラブを持って、学校に通っていたのだった。中学1年生の頃である。


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