上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.05.17


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ラジカセでサザンを聴きながら、
鵠沼海岸に夕陽が差したら――練習再開!

 鵠沼海岸は江ノ島の西側に広がっていた。ビーチは広く、烏帽子岩の霞む茅ヶ崎方面まで砂浜がずっと延びている。一見すれば海水浴に最適に思われるが、真夏でも遊泳客はほとんどいない。潮流の関係でそのほとんどの区域を遊泳禁止としているからだ。

 そのため、地続きの江ノ島海岸が家族連れやカップルなどの海水浴客で賑わっていても、鵠沼海岸には波乗りを楽しむサーファーか、あるいは犬を連れて散歩する近所の人の姿が散見されるだけ、といったことがしばしばであった。

 しかもサーファーの多くは波打ち際の向こうの海に浮かんでいる。散歩中の近所の犬たちも波打ち際で戯れている。すると、広大な「ビーチバンカー」は私たちの独断場となる。

 早朝、ビーチに着いた私たちはすぐにバンカーショットの練習を始めたものだった。

 鵠沼海岸特有のきめ細かい砂はわずかなダフリですら、ボールの上がることを許さない。また早朝といえども、夜半の陸海の温度差による海風は強く、ショットの度に顔面に大量の砂粒が翔ぶことにも耐えなければならなかった。

 さらに、時に砂を飛ばしてサーファーたちから罵声を浴びせられたり、波打ち際から突如、猛ダッシュしてくる犬がボールを銜えていかないようにコントロールしてショットしなくてはならなかった。

 そうしたあらゆる困難と闘い、私たちは遠征地でのバンカー練習に励んだものだった。

 波打ち際の砂は水を吸って硬くなり、通常のバンカーショットではサンドウェッジがソールが跳ね返されて、トップがでやすいことも鵠沼海岸の「練習場」で学んだものだった。

 時にそうして打ったボールが駐車場にまで飛び込み、ドライバーから大目玉を食らうこともあった。だが、大抵は「変な少年たちだ」ということで許してもらえた。なにしろ当時、そんなところでゴルフをしている中学生など私たちの他に誰一人いなかったからだ。

 それでも真夏の練習は、比較的短時間で終了した。遊泳禁止の鵠沼海岸といえども、さすがに昼も近づけば、砂浜で日光浴を愉しむ人々でビーチが溢れかえったからだ。

 そうなると、私たちも腰にバスタオルを巻いて海水パンツに着替え、透明度の限りなく低い海に飛び込んだり、あるいはサーフボードを交替で使ったりして遊んだものだった。

 また砂浜に残った者は、背中にサンオイルを塗り、夏の太陽の日差しに晒しながら、流行の、とはいえ高田馬場のビッグボックスで買った安物のサングラスを掛け、そろって砂に寝転んだものだった。時には、砂浜に麻雀マットを敷いて作った即興の「雀荘」で時間を潰すこともあった。

 ラジカセからはサザンオールスターズの曲が流れている。私たちはスピーカーに砂が入らないようにタオルを掛けて、場違いのゴルフ談義に興じながら、桑田圭祐の声に耳を傾け、湘南の海で夏の一日を過ごしたものだった。

 やがて夕刻が訪れ、再び早朝と同じように人波が引いていく。今度は朝とは逆方向に海風が吹き始める。日中の喧騒が嘘のようにビーチは静かになっていく。

 私たちは再びゴルフクラブを握り、広大なビーチバンカーでボールを打ち始める。練習場の再オープンである。

 江ノ島の灯台に明かりが燈り、遠く伊豆半島の山々の稜線に太陽が隠れ、波の上のサーファーの姿が見えなくなるまで、私たちはバンカーショットを繰り返した。

 スフィンクスには及ばないものの、当時の私たちは間違いなく、砂の中にもっとも長くいる中学生ゴルファーであった。

[ 第6話 終わり ]


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