上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.05.11


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ゴルフへの熱い思いを込めた
「鈴っちゃん」の会社の名前

 箱根山CC、新宿パターGCにおいて、勝者がそうした栄誉に与ることができる一方で、下位の者には大いなる屈辱が待っていた。敗者は、自動販売機までひた走り、自らの100円玉と引き換えに勝者に命じられたボタンを押さなければならなかったのだ。

 思えばその種の屈辱に、もっとも多く耐えてきたのが「鈴っちゃん」であった。

 彼のスウィングは個性的であった。懐の深いハンドダウンのアドレスから、極端なアーリーコックで始動されたスウィングは、大抵がボールの手前の地面を叩くことにつながった。そのダフり癖は多くの練習の割には、なかなか改善されることがなかった。

 結果、「鈴っちゃん」の小遣いの多くが自動販売機に呑み込まれることになったものだった。

 あるとき、「鈴っちゃん」はグリーンを狙うセカンドショットをガードバンカーに打ち込んでしまった。彼にとって、バンカーショットは決して難しいものではないはずだ。いつものようにダフれば、ボールはグリーンの上に乗ることだろう。

 彼は、あの独特のアーリーコックで砂の中にサンドウェッジのヘッドを打ち込んだ。砂が空中に舞う。

 鈴っちゃんの視線は、グリーンの反対側で様子を眺めていた私たちの方に向けられている。リカバリーショットは完璧なようだ。だが、ボールがない。いったいどこに飛んだのか? 

 手を振りながら、鈴っちゃんがこちらに向かって叫ぶ。

「当たってなーい」

 それは初ラウンドでの出来事だった。彼のクラブはボールの手前50センチの砂を叩いていたのだ。

 そんなことがあろうが、鈴っちゃんこそが最もゴルフを愛していた中学生だった。

 雨が降ろうが、雪が降ろうが関係ない。試験だろうが、学校行事が続こうが、生徒会長でもあった彼は、何よりもゴルフを優先させた。

 夜、新宿・夏目坂の自宅の前の狭い路地で素振りを繰り返し、近所から苦情を受けてもなお、彼は努力を怠らなかった。

 インターネットもない時代、USPGAツアーの情報に最も精通していたのは他ならぬ「鈴っちゃん」であった。彼がもたらす新情報に私たちは耳を傾け合ったものだった。

 当時、50台という夢のスコアを叩き出した唯一のゴルファーが、アル・ガイバーガーであることを教えてくれたのもじつは彼であった。

 コーリー・ペイビンやベルンハルト・ランガーのアーリーコックを仲間に伝え、自ら取り入れたのも彼だった。ラリー・ネルソンやベン・クレンショーなど、当時、まだ決してメジャーとは言えなかった選手の存在やその半生を、語っていたのも鈴っちゃんであった。

 そのゴルフへの想いは、彼が大学卒業後に自ら立ち上げた広告会社の名前が「クレンショー」であったことからも伺える。

 5月、私の初コンペで、ハーフ「58」を叩いた「鈴っちゃん」ではあったが、帰りの車中ではすっかり上機嫌であった。

 車が東名高速道路から首都高速に差し掛かる頃、賞品のひとつであった「マスターズ観戦ガイド」(英語版)を手に取ってこうつぶやくのであった。

「すごいよ、これ。マスターズの知らない歴史や歴代の優勝者、それにホールごとの分析まで記されている。夢みたいな賞品だ。上杉、ありがとう」
[ 第5話 終わり ]


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