上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.04.27


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高速グリーンと強風を制した
僕に与えられた称号

 そこでの「トーナメント」は本番さながらの緊張感をもって行われた。誰も経験したことのないような高速グリーンに少年たちは頭を悩ませた。

 さらに「新宿パターGC」では、常に高層ビル特有の強烈なビル風が吹いつけていた。乾いた人工芝の上のボールは限りなく転がり、ときに、止まっているボールが勝手に動き出した末、20メートル以上先の「OB」に飛び出すこともあった。

 私たちが作った「新宿パターGC」のローカルルールでは、ステンレス製の枠に触れると「一打罰」、超えると「OB」であった。よって、手首を使って強くヒットすれば、ボールは間違いなくステンレス製の枠を飛び越えて、人工芝の「コース」外に出る「OB」となってしまう。

 河川敷コースの遅いグリーンに慣れていた私たちは、最初みな「OB」を連発したものであった。自然、少年たちのパッティングスタイルは変わらざるをなくなっていく。

 すべてのクラブにおいてパンチヒッターだった「エテパン」は、パターにおいてもパンチヒッターだった。材木屋の倅であった彼の持ち味は、力強い足腰から放たれる力強いショットであったが、残念なことに、時にそれはパターでも発揮されてしまった。

 しかし「新宿パターGC」の高速グリーンと強風が、次第に彼のパッティングスタイルまで変えていく。

 当初、「エテパン」は、青木功のようにリストを使うスタイルだった。だが、しばらくすると「エテパン」は、ベースボール型のアドレスで一切手首を使わないものに変わっていった。そう、あの杉原輝雄のような打ち方である。

 その頃の私は〝トム・ワトソン〟であった。

<速いグリーンでのパッティングは、手の平が白くなるくらい強く握って上半身でストロークする>

 どこかの記事でワトソンのこの言葉を知った私は、早速、それを採用することにした。肩でストロークする。ボールをタッチするだけで転がるこの「コース」では極めて効果的な打ち方であった。

 そのスタイルのおかげで、私は「新宿パターGC」で6週連続優勝の記録を打ちたて、初代の「賞金王」となった。しばらく私には"新帝王"の称号(あだな)が与えられ、教室でもそう呼ばれた。

 ある日、その賞金で買った中古ボールを持って、"新帝王"は本当のゴルフコースに向かった。ショットはまずまずだった。だが、グリーン上では「悲劇」が発生した。

 すべてのパットがカップに届かず、半分以上の距離を残したところでショートしてしまう。

 それは、アガサ・クリスティといえども、推理できないパッティングの「悲劇」であった。
[ 第4話 終わり ]


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