上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.04.27


【第4回】
”新宿パターGC”で 僕はトム・ワトソンになった。

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(前回のあらすじ)
 ジャーナリスト・上杉隆と5人の仲間たちは、圧倒的な少数派として、中学生ゴルファー生活を送っていた。教室ではマスターズの話に盛り上がり、公園をコースに見たててクラブを振る……恵まれないながらも、自分たちなりにゴルフを謳歌していた――。

新宿の高層ビル街の片隅では、
日夜トーナメントが開催されていた

 「ゴルフのスコアの半分はパットである」

 たぶん、これはアガサ・クリスティの言葉だったと思う。偉大な英国の推理作家が喝破したように、いかに素晴らしいショットを繰り返しても、結局、最後はパッティングが勝負を決する、それがゴルフというものだ。

 私たち少年ゴルファーといえどもそこに例外はなかった。たとえショットのレベルが低くても、パッティングを制した者こそゲームを制する、という真理は不変であった。

 よって私たちはパッティングの練習に励んだものだった。ただし悩みもあった。都会のど真ん中(新宿)に住む私たちには、適当なパッティングの練習グリーンを見つけることが至難の業だったのだ。

 最初、唯一の練習グリーンは高田馬場駅のビッグボックスのゴルフショップのパター売り場だった。そこの脇に設置された一回百円のパターゲームで真剣にラインを読んだ。

 カップまでわずか3メートル。勝利すればゲーム代は無料になるが、敗れた者にはペナルティが待っていた。次のゲーム代も含めて2倍の出費が待っていたのだ。

 ある日のこと、新宿の高層ビル街で遊んでいた私たちは、偶然、住友ビルの広場に緑の人工芝の広がっているのを発見した。

 胸が高鳴る。乗っていた自転車を停め、レンガ造りの階段を駆け下りる。信じられないことに、そこにはパッティング専用の練習グリーンが広がっていたのだ。

 広さは縦30メートル、横20メートルはあっただろうか。全面に人工芝が敷き詰められ、盛り上がった部分が2箇所、カップはその上に2、3切られ、平らなエリアにもいくつかのホールが開いていた。

 私たちは思わず走り出した。貸し出し用のパターを奪い取ると、すぐにボールを転がし始めた。

 そこは「有賀園ゴルフ」が都会のサラリーマンのために作った無料のパッティング練習グリーンだったのである。だが、翌日からそこはサラリーマンのためのグリーンではなく、少年ゴルファー専用の「コース」になっていった。

 各々がパターとボールを持ち込んで、集まる。朝だろうが、夜だろうが関係ない。少年たちの姿はいつでもそこにあった。ひとりでやって来てボールを転がしていれば、きっと誰かがやってくる。2人集まればマッチプレー、3人以上になればすぐに「トーナメント」が開催された。

 いつしか私たちは、そこを「新宿パターGC」と呼ぶようになっていた。中学の授業が終わると、私たちはパターを自転車に縛り付けて、「新宿パターGC」に向かったものだった。


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