上杉隆 連載コラム 「前略、芝の上から」

2010.04.13


【第2回】
「帝王」の忠実な生徒たち

「帝王」の忠実な生徒たち
(前回のあらすじ)
ゴルフが大好きな中学生だった上杉と5人のゴルフ仲間は、マスターズウィークになるとクラスから浮くのも厭わず、優勝者予想に夢中になり、テレビ観戦のために集団遅刻を繰り返していた。その衝撃は、6人の人生の進路にも影響を与えていく。それから四半世紀。当時の仲間たちの想いを乗せ、上杉はマスターズ取材へと旅立つ。

オーガスタの練習場でニクラスは、
現役時代と同じように球を打っていた。

 到着したオーガスタGCの美しさは健在だった。新設されたドライビングレンジでは朝露のしずくが太陽に反射し輝いている。私は目を細め、深く呼吸をし、立ち止まる。たちまち後ろからやってきたパトロンの大群に飲み込まれた。朝のオーガスタでは感傷的になっている暇はないようだ。

 午前7時、正面玄関が開門するとパトロンたちが一斉に歩き出す。走ることを禁止されているオーガスタではみな早歩きだ。そこでジャケット姿の東洋人がひとり立ち止まっていたら確かに邪魔に違いない。

 コースに入るメインゲートの開くまでにはまだ時間がある。それまでは練習場のスタンドこそが最上の観客席になる。まずはそこを目指した。ため息の出るほど青い芝の上では、すでに二人の老いたチャンピオンたちがクラブを握っていた。

 ジャック・ニクラスとアーノルド・パーマー。

 米国のみならず、世界のゴルフ界を牽引してきた二人には、この後、名誉スターターとして一番ティーでの仕事が待っている。

 ドライバーショットのみのセレモニーにすぎないのだが、パーマーは上機嫌だった。家族やグリーンジャケットを着た委員たちと盛んに話している。

 ニクラスはやはりニクラスだった。現役時代と同じようにルーティンを繰り返した。ウェッジで5球、ミドルアイアンで5球、ロングアイアンで5球、そしてドライバーショットも5球――。

 それを終えると、キャディ役の孫にクラブを渡し、クラブハウスに通ずるレーン(小径)に向かってゆっくりと歩き出した。サインを求めるファンがゴールデンベアに向けて殺到する。差し出された帽子やフラッグに、ごく自然に、あたかも握手でもするかのように気軽に応じている。

〈Jack Nicklaus〉

 お馴染みのあの文体はこうしていくつも生みだされてきたのだろう。ジャック・ニクラスはおそらく人類史上もっとも数多くサインをしたひとりに違いない。

 パトロンに囲まれた一番ティ、パーマーの次にニクラスがアドレスに入った。昔と変わらぬチンコックでスウィングを始動させ、フェアウェイに白球を運んだ。彼がセカンドショットを打つことはない。 上杉隆

 ニクラスはいつものように肘を90度曲げるあの独特なスタイルで、パトロンたちの声援に応えると、そのままクラブハウスに引き上げていった。ニクラスはやはりそこでも、委員たちの求めに応じてサインをしている。

 そういえば中学時代、あのサインをよく真似したものだった。スウィングや仕草、フェアウェイの歩き方、会見で漏らしたふとした言葉もニクラスのことであるならば、何でもかんでも吸収しようと試みた。

 その中で一番上手だったのがサインだった。筆記体のそれを繰り返し練習し、会得を試みた。

〈Jack Nicklaus Jack Nicklaus, Jack Nicklaus…〉

 おかげで、授業に使うノートの余白のほとんどがニクラスの偽サインで満たされたものだった


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