名手・達人の言葉

2014.06.24

安田幸吉「家族と別れの水盃して、試合会場の茨木へ向かったのです。」

第1回日本プロ選手権は1926年(大正15)、関西の茨木CCで、6名を集めて行われた。名称も関西プロ争奪戦(のちに「全国プロフェッショナル・ゴルファーズ優勝大会」に改称)、主催も大阪毎日新聞だったので、日本プロ選手権第1回とするには無理があると訝(いぶか)る向きもあるが、ともかく安田は関東から出場した。

その出立の折り、安田は家族と今生の別れかもしれないと水盃を交わしたのだ。

当時、丹那トンネルはなく、「箱根の山は天下の険」で、関西へいくのは半分決死!?の覚悟だった。

安田は苦労の甲斐なく敗れ去り、師匠の福井覚治をプレーオフで破った宮本留吉に凱歌があがった。

 

■安田幸吉(やすだ・こうきち 1905~2003年)
子供の頃から生家近くの東京GC・駒沢でキャディ、17歳でプロゴルファー。1957年、日本プロゴルフ協会設立にあたっては初代理事長に就任。1927年には昭和天皇へクラブを製作して献上する名誉に浴した。勝利には恵まれなかったが、1929年には宮本留吉と日本人プロ初の海外遠征メンバーにも選ばれている。コース設計も50を越す。1991年にはプロ界初の叙勲(勳三等瑞宝章)、文部省からも「スポーツ功労賞」受賞。プロ界の勃興、功労者として人生を全うした。

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