名手・達人の言葉

2012.11.21

どうしても護衛と一緒にいたいなら、首相在任中はゴルフをしないことだ。――白洲次郎

終戦後、吉田茂の命を受けてGHQと対等に渡り合った白洲が、老年期に最も力を注いだのが軽井沢ゴルフ倶楽部の運営だった。

運営方針はプリンシプル(原則)を貫くこと。

T首相が「明日新任のアメリカ大使とプレーしたいから」といってきても「日曜はビジターはダメ」と断った。

N首相はメンバーでも護衛はそうでないから、“コースに護衛は入れない”といった表題の「言葉」。

メンバーは皆平等。総理大臣に限らず、権力者は言動に節度を忘れてはならないというプリンシプルのゆえだ。

ゴルフが上手いといって威張る奴、行儀の悪い奴にはどんな社会的地位があろうが、ところかまわず怒鳴った。

ある時、車の後部座席にふんぞり返り、運転手にスパイクの紐を結ばせている、ある会社の経営者を目撃した折にはつかつかと近寄り、「てめえは手がねぇのか!」と痛罵した。

半面、キャディや従業員には非常に優しく大事にした。

ゴルフでも人生同様、プリンシプルを貫いた人であった。

 

■ 白洲次郎(しらす・じろう/1902~1985年)
兵庫県芦屋の大富豪の家系に生まれる。17歳で英国ケンブリッジ大学へ留学。家業倒産のため26歳で帰国。35歳で近衛文麿内閣の政策ブレーンをつとめたが、38歳で鶴川村に「武相荘」を建て、農業をやるといって隠棲する。43歳で吉田茂に請われ「終戦連絡中央委員会」参与に就任。GHQ憲法制定を巡って渡り合う。46歳、初代貿易庁長官に就任、通産省誕生の立役者となる。その後東北電力会長となり、電力再編の分割民営化に取り組む。50歳、軽井沢ゴルフ倶楽部理事、74歳で常任理事、80歳で理事長に。85歳で死去。遺言は「葬式無用 戒名不用」。夫人は作家・随筆家の故白洲正子

 

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