名手・達人の言葉

2011.02.02

ノーマン、プリーズ、チャリティー!――青木功
表題の「言葉」は、これでは何のことか全く判らないだろうが、順を追って説明する。この話は筆者の古い友人(ゴルフコンサルタント)が語ってくれたものだ。

今から去ること16年前の1995年1月17日――そう、阪神淡路大震災の日――、青木と友人は成田から欧州ツアー第1戦、ジョニーウォーカークラシックに参戦するために、フィリピンへ向かう機上にいた。そしてそこから、その大震災の炎と煙を目撃したのだ。

すでに2人は、成田で震災の第一報は聞いてはいたが、こんな悲惨なことが……と、機内は騒然としたという。

「ひでえな、何でこんなことになるんだ!」と横にいた青木の目から大粒の涙がこぼれた。「空の上にいるから何にもできない、どうしようか……」と話ながら考え込んでしまったという。

マニラに着き、開催コースへ到着した途端、青木は小さな段ボール箱をフロントで用意してもらい、それを持って参加選手のいるロッカールームへと消えた。その第一声が表題の「言葉」で、それが友人の耳に今も残っているという。

つまり、青木はブロークンの英語ながら、グレッグ・ノーマンに震災の募金を呼びかけたのである。

当時の大会にはノーマンの他、ニック・ファルド、フレッド・カプルス、イアン・ウーズナムなど各国の錚々(そうそう)たる選手が出場していた。その彼らから募金を募り、段ボール箱はドル紙幣で一杯になった。

後日、青木はそれを日本のテレビ局に寄付した。

情に篤(あつ)い青木らしい話である。

 

■青木功(あおき・いさお 1942年~)

1942年8月31日、千葉県我孫子市生まれ。29歳で「関東プロ」に初優勝と遅咲きながら、それからの活躍はジャンボ尾崎と人気実力とも二分し、日本プロトーナメントを隆盛に導いた。国内での勝利数もさることながら、海外での活躍は、『オリエンタルマジシャン』と呼ばれ、「世界のアオキ」と絶賛された。とくに、80年、全米オープンでの帝王二クラスとの死闘は伝説として後世に長くつたえられるだろう。国内56勝。シニア9勝、海外7勝、海外シニア9勝、海外グランドシニア3勝。2004年、アメリカでゴルフ殿堂入り。

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