名手・達人の言葉

2010.06.02

勝利の女神は、勝とうと躍起になってるもんには微笑まんということだ。――藤井義将

 60年代~70年代にかけてツアーで活躍した藤井義将。九州男児らしい精悍な風貌、165センチ、60キロの体躯ながら、広いスタンスから繰り出される歯切れいいショットは“玄海の荒法師”という異名がぴったりだった。

 同時代の陳清波、小針春芳らが次々勝っていくなかで、デビュー当時から大器といわれていた藤井が、念願の日本オープンを制したのは71年。月日が流れて42歳の時だった。

 その年のある日、これまで毎年日本オープン開催の時期が来ると、重圧がかかりイライラが募っていたという藤井の心境を慮った所属コース・玄海CCのメンバーが、藤井を自宅へと誘った。

 そこには広い池があって鯉がゆうゆうと泳いでいた。茶を飲みながらそれを見てると、藤井は心が和んできたという。それを察したメンバー氏が、藤井の自宅に池をつくってあげ、鯉も寄贈したというのだ。

 自宅で毎日池を見ていた心境を、藤井は「刀が切れるように研いだ心が穏やかになっていった。日本オープンの直前には戦う気持ちが一本になって、上手くいかないショットにイライラしなくなった」と語った。

 鯉のようにゆったり泳げばいいと、そんな気持ちになったその年、あっさりと日本オープンをさらってしまうのである。

 勝利後の感想が表題の「言葉」であることは、賢明なる読者諸氏にはもうお分かりだろう。

 

■藤井義将(ふじい・よしまさ 1929~)

福岡県生まれ。兵隊から戻り、兄達のあとを追って和白コース(福岡CC)に入り、プロを目指す。そこで赤星四郎に出会い基本を学び、関東の霞ケ関CCに移り9年間を過ごす。プロ契約第一号であった。さらに九州・玄海CCへUターン。広いスタンスからの豪快なショット、強気のプレーは「玄海の荒法師」と呼ばれた。71年、42歳で日本オープン制覇。シニア入りしてからも日本プロシニア3勝、日本プログランドシニア4勝するなど活躍。ジャンボ尾崎のプロ入りの道筋をつけた功労者でも知られる。また、コース設計者としては麻生飯塚GCや伊都GCなど多くのゴルフ場を設計した。04年スポーツ功労者文部科学大臣顕彰受賞。

 

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