名手・達人の言葉

2009.09.30

ゴルフも野球も自然の法則に従えば、上達も早いし、体の故障も起きない。――新田恭一
 

 新田恭一のいう自然の法則とは?

 人間の体の動きには、曲げる、伸ばす、ねじる、の3つしかなく、その3つの動きには自然の法則というべき順序があるというのだ。その順序とは、軸に近いところから動いていくこと。これは物理の法則であり、最も効率のよい動き方というのである。

 ゴルフスウィングでいうなら、右足が軸(新田の持論)で最初に右足首をねじって、膝をねじって……、最後に手が動く。この順序を間違えると正しいスウィングはつくれないし、怪我をするというのである。つまり手打ちではだめだということ。

 新田は、慶應義塾大学時代に同野球部の黄金期を築いた。卒業後米国へ留学しゴルフと出会い、その後英国遊学の折、日本人として初めてセントアンドリュースでプレーをした。

 帰国してからは、実業団チームで活躍し、その後プロ野球・松竹ロビンスのコーチを経て監督に就任。巨人、近鉄でもコーチを歴任した。

 松竹コーチ時代に育てた小鶴誠は、小柄ながら首位打者を獲得し、1950年に達成した年間161打点、143得点、367塁打という記録は、今でも破られていない。

 その小鶴の打法は、下半身主導のダウンスウィングで“ゴルフスウィング”と流行語になったほど。新田の理論指導が脚光を浴びたのである。

 新田のゴルフの腕前のほどは、1931年に日本アマチュア選手権で優勝しているのだから説明は不要であろう。

 ゴルフスウィングを野球にとりいれ、成功させた異才の「言葉」は今に生きている。

 

■新田恭一(にった・きょういち 1898~1986年)

広島県出身。慶應義塾普通部、慶應義塾大学時代は野球に熱中。同野球部の黄金期を築く。卒業後、ニューヨークのデザイン学校へ留学。このときゴルフを始め、その後の英国遊学中にセントアンドリュースでプレーした初めての日本人となった。帰国後、銀座にゴルフ用品店を開店、日本で初めて舶来クラブ販売したことでも知られる。実業団チームに属し、投手として米国遠征。その後、松竹ロビンスのコーチ・監督、巨人、近鉄でもコーチを歴任。松竹のコーチ時代にはゴルフスウィングをとりいれた打撃法を構築し、「和製ディマジオ」と呼ばれた最初の弟子、小鶴誠が育った。
ゴルフでは1931年に日本アマチュア選手権で優勝。35年は赤星四郎に勝ったものの、決勝で鍋島直泰に敗れ2位。晩年は松竹時代、新田門下生だった後藤修にその理論を継承。後藤はジャンボ尾崎、中嶋常幸らを指導した。86年1月9日、“初づくめ”の足跡を残して人生を終えた。

 

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