名手・達人の言葉

2008.08.20

第2回ハワイ・オープンに日本のプロを招待したい。 フランシス・ブラウン

 フランシス・ブラウンは日本選手を初の海外遠征させた恩人として知られる。

 ブラウンは1900年台初頭にハワイで家業のパイナップル園を成功させ、“ハワイのパイナップル王”と呼ばれたが、大のゴルフ好きでもあった。自身、ハワイ・アマ選手権4連勝も果たしている。

 親日家でもあり、それを聞きつけた日本ゴルフ協会が、1929年、ブラウンをキャプテンとしてハワイチーム8人を招待した。

 そしてブラウンは、その年の10月に行われた日本アマ選手権で優勝もしている。

 このときの1カ月にも及ぶ日本滞在で、日本ゴルフ界のリーダーたち、野村駿吉、近衛文麿らとゴルフと夜の宴会で大いに親交を深めた。

 その歓待ぶりにブラウンは感激し、表題の「言葉」でお返しをしようとした。

 ところが日本側は経費の都合がつかないとして、辞退を申し出た。

 そこでブラウンは「経費は私個人が持たせていただく」と返答。ここに日本初の海外遠征が実現したのだ。

 行ったのはプロの宮本留吉、安田幸吉。アマの川崎肇も招待リストに入っていたのだが、直前の病気により辞退の憂き目をみている。

 帰国した宮本は彼の地のゴルフを述べて見識を広めたと語っている。

 もし、ブラウンがいなかったなら、ゴルフ日米交流も遅れて、戦後のずっと後になっていただろう。

 
 
■フランシス・ブラウン
(1892~1976)
ハワイの豪族の家に生まれ、“ハワイのパイナップル王”として名を馳せる。ゴルフにも才能を見せ、20年からハワイ・アマ4連勝も果たしている。親日家としても知られ、1929年日本ゴルフ協会の招待で来日。日本アマにも勝っている。1カ月に及ぶ日本の滞在で日本ゴルフ界の重鎮たちと親交を深めたといわれる。それが自費での日本選手招待につながり、ゴルフ日米交流橋渡しの嚆矢(こうし)となった。

 

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