名手・達人の言葉

2008.08.06

“死ぬか生きるかより、勝つか負けるかのほうが楽。負けても次の試合に勝たばいいんだから。 小針春芳

 ゴルフダイジェスト社刊の隔月刊雑誌『チョイス』連載「小春日和」でお馴染みの小針春芳翁が、土壇場での勝負観を訊かれて発した「言葉」だ。

 小針は栃木県黒磯に生まれた。高等小学校を卒業後、鉄道員になろうとしたが、色覚障害のため不採用となった。仕方なく自宅近くに出来た那須ゴルフ倶楽部に入社。それがプロゴルファーになったきっかけだった。

 余談だが、その育った那須GCからは今も動かず、長きにわたって勤めている。

 1940年、その那須GCで行われた関東プロ招待競技で、浅見緑蔵にプレーオフで敗れたものの2位。これがプロとしてのデビューになった。

 その後、出征。激戦地のニューギニアで終戦を迎えたが、小針の部隊にいた400人のうち、生き残ったのはわずか13名であったという過酷な体験をしている。

 狂気に陥った同僚兵士が自ら手榴弾を抱え、自爆した光景も目にしている。地獄をみた小針は自らを“死に残り”と達観して、その後の彼の人生観に大きな影響を与えたのは当然だろう。

 表題の「言葉」はそんな小針の人生観が投影されている。死のなかの生をくぐりぬけた人にとっては、ゴルフの土壇場の勝ち負けは“軽い”ものであったに違いない。

 表題の「言葉」をそんな体験もない人が吐いても、上っ面だけだろうが、小針が発すると一語一語が非常な重みをもって、心に迫ってくる。

 帰国後、プロの道へ復帰。日本オープンに2回優勝するなど、戦後のプロゴルフ草創期をリードした一人である。

 163センチ、57キロの小兵ながら、その飄々淡々とした姿勢は87歳になっても変わることなく、『チョイス』の誌面を波静かに飾っている。

 
 
■小針春芳
(こばり はるよし 1921~)
栃木県黒磯生まれ。たまたま生家近くの那須ゴルフ倶楽部に就職したのが、プロゴルファーになるきっかけ。戦前はプロとしての実績はさほどみられない。出征。最初は北支、そしてニューギニアで終戦を迎えたが、かの地では部隊400人のうち、13名だけしか生き残らないという過酷な体験をする。戦後、プロ界に戻ってからは目覚しい活躍。163センチ、57キロの小兵ながら、日本オープン2勝を始め、関東オープン2勝、関東プロ1勝。シニアになっても日本プロシニア2勝を始め、7勝。2008年8月現在エージシュート24回。小野光一のもつ27回に迫っている。クリークの名手としてつとに名高い。

 

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