名手・達人の言葉

2008.06.18

バンカーは萱葺(かやぶき)屋根に見立てて…… チャールズ・H・アリソン

 日本のゴルフコース設計で最も偉大な足跡を残したのは、C・H・アリソンであろう。

 1930年、東京ゴルフ倶楽部・旧朝霞コース設計のため来日。もっとも最初に招く予定だったのは当時、世界での第一人者だったハリー・コルトであったが、コルトは高齢のため自らのパートナーであったアリソンをかわりに派遣した次第だった。

 アリソンは朝霞コース設計の途中に静岡の川奈、兵庫の廣野に立ち寄り、設計を担当していた赤星六郎や大谷光明に大改造を指示し、その設計図が今に残されている。

 そして現在では川奈ホテルゴルフコース(富士コース)や、廣野ゴルフゴルフ倶楽部の設計者の名前にはアリソンの名が記されている。

 アリソンの設計哲学にはいくつかの独特な手法があるのだが、そのひとつに“アリソン・バンカー”がある。

 経験された読者諸氏も多いと思うのだが、深くてアゴがせり出し、バンカーの中に入るとアゴがまるでプレーヤーにかぶさってくるような圧迫感を覚える。

 アリソン・バンカーはこれまで幾度となく、試合の中でドラマチックな勝負のシーンを演出してきたが、このバンカーはどうして生まれたのだろうか?

 日本での滞在はわずか2カ月余であったが、宿舎とした京都で桂離宮や竜安寺に通い、元々造園設計から出発しているだけに、日本の美を堪能するなかでアリソンの頭の中にひらめいたのは萱葺屋根であった。

 そのひらめきが冒頭の「言葉」のつぶやきになっていったのである。
 
 
■チャールズ・ヒュー・アリソン
(1882~1952)
イギリスのランカシャー生まれ。オックスフォード大でゴルフとクリケットの名手として活躍。米国ゴルフ協会に史上最年少の21歳で招かれ、連戦連勝。視野を広めた。卒業後に、当時ゴルフ設計で内陸コースにリンクスの特徴を表現しようとしていたハリー・コルトと出会い、彼の右腕となる。30代半ばまで海外の仕事を担当。その間に来日。わずか2カ月余りの滞在だったが、川奈ホテル・富士コースや廣野GCを設計し、日本のゴルフコース設計に多大な足跡を遺した。49年に引退した後は南アフリカで余生を送った。

 

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