名手・達人の言葉

2008.06.11

この原野に故国のリンクスをつくろう アーサー・H・グルーム

 日本のゴルフ史に少しでも興味ある人なら、知ってる名前であろう。そう、1901年、日本に初めてゴルフ場を造った御仁である。

 グルームは明治政府が成立した1868年に、兄が経営していた貿易商社の一員として来日。翌年には大阪玉造の士族の娘、宮崎直子と結婚しているから、よほど日本が気にいったとみえる。1871年、兄の商社から独立。茶商社を設立し成功する。

 猟が好きで六甲山腹に出没していたが、信仰心の篤い妻・直子が殺生を嫌ったため、そのかわりというか、六甲山腹の開発を思いたったという。しかし、リンクスというアイデアはその時はまだない。

 ある週末、神戸に住む英国人3人とティタイムを持った。その時、故国の思い出話となり、冒頭の「言葉」がグルームより発され、衆議が一致した。日本でゴルフという文字が具体的にゴルフ場造成という形で実現に向かった瞬間だった。

 当時はむろん、ブルドーザーなどの重機はない。鎌で雑草を払い、6万株のツツジを引き抜く整地作業を数年行ったと記録にある。グリーンは砂を固めた文字どおりのサンドグリーンであった。

 そして1901年、ついに4ホールが完成。翌々年9ホールとなり、神戸ゴルフ倶楽部が発足。その翌年には18ホールとなり、ここに日本初のゴルフ場が完成した。

 来場者は麓(ふもと)の五毛村から担ぎ手3人、後押し1人の手の籠(かご)で担ぎ上げるというものだった。この写真が今に残っている。

 グルームのゴルフの腕前は末娘に言わせると「父はゴルフは大好きだったが、上手くはなかった」と。ハンディキャップは14との記録がある。

 神戸を生涯愛し、日本人に同化しようとした。娘達には外国人と結婚するのは反対し、靴や洋服さえ身につけようとはさせなかったという。遺骨は外国人墓地ではなく、妻の実家である宮崎家に葬られている。

 
 
■アーサー・ヘスケス・グルーム
(1846~1918)
英国ロンドン郊外で生まれた。1868年、兄が経営する貿易業「グロバー商会」の一員として来日。翌年大阪玉造の士族の娘、宮崎直子と結婚。日本人より日本人らしいといわれたのは直子の影響であった。9人の子供に恵まれた。1871年、兄の商社より独立。茶商として成功。1901年、4人の英国人と合議で六甲山腹に4ホールのゴルフコースを完成させ、2年後には9ホール、その翌年には18ホールとして日本初の神戸ゴルフ倶楽部を設立。日本初のゴルフ場造成となった。生涯、家族と神戸を愛し、1918年1月9日、神戸で病没。墓は外人墓地ではなく、妻・直子の実家、宮崎家に葬られたことでも、いかに日本人でありたかったか、わかろうというもの。自身のゴルフの腕前はハンディキャップ14との記録が残っている。

 

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