名手・達人の言葉

2008.04.30

球筋を運転できる人は、上達も早いし、絶対長持ちするね。 林由郎

 林由郎は表題の「言葉」を自ら実証している。スライス、フック、高い球、低い球を操り、宮本留吉、戸田藤一郎に続き、中村寅吉とともに戦後のプロゴルフ界を牽引した。

 林が、球筋の多彩さを必要だと悟ったシーンには、有名なエピソードがある。昭和23年の関東プロ勝利の後、関西での模範試合に招かれた。関西は先ほどの宮本、戸田、関東からは寅さんと林。宝塚の15番ホール。

 林はナイスドライブの後、2オンも可能な位置の第2打目をなんと空振りしてしまうのだ。ボールが沈み、左足下がりのライだった。戸田はそれを見て毒舌で「関東のチャンピオンはこんなに下手なのか。林君、ワシが打ってみせるからよう見ときなはれ」と、3発続けて見事な球を打ってみせた。

 この時だ、林が球筋の重要性を知ったのは。林はそれまで右脇を締め、左脇を空けてインサイドに抜いて打つフック球1本槍だった。これでは左足下がりや、沈んだボールには対処しにくい。戸田はクラブをアウトサイドに抜いて、スライス系のボールで難なくクリアしてしまう。

 それから林は戸田を見てスライスを覚え、米国に渡ればベン・ホーガン、サム・スニードの技術を採り入れる。秘訣は「見て盗め」だった。

 林には、青木、ジャンボ尾崎、福嶋晃子ら、賞金王・賞金女王になった弟子が5人もいるが、彼らにも言っていたのは「盗んで覚えろ」だった。

 5番アイアンで、50ヤードから220ヤードの球筋をコントロールし、七色の球筋を操る職人・林は、長いプロ生活を今も生きている。

 
■林由郎
(はやし・よしろう 1922~)
我孫子にキャディとして入り、プロ入りは昭和13年、16歳の時。だが戦前はプロ活動はほとんどなく、兵役にとられた。戦後になって、才能は一気に開花。戦後再開の公式戦、関東プロ、日本プロ、日本オープンの3戦をとり、一躍中村寅吉とともにプロ界興隆の担い手となった。その後も順調に実績を重ね、日本オープン2勝。日本プロ4勝。関東オープン、関東プロ各2勝。ワールドカップへも参加。青木功、尾崎将司、尾崎直道、飯合肇、福嶋晃子など賞金王、女王を育てた名伯楽として知られる。七色の球筋を操り、我孫子弁での朴訥なレッスンも評判を呼び、一世を風靡した。

 

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