名手・達人の言葉

2007.06.20

何時かはこういうこともあるでしょう。でも落ちたというより、よくここまでやってこれたと思う。樋口久子

 どんな王者でも≪敗れ去る≫日は来る。
1983年9月23日、日本女子プロで、
女王・樋口久子が予選落ちした日である。

 エッ、予選落ちしたぐらいでのコメントが
「名手の言葉」なんて……、というなかれ。
予選落ちがニュースになるほど、
樋口は強かったというわけである。

 67年、女子プロ創立記念大会に出場してから、
83年のその日まで240試合連続予選通過。
海外試合も含めると、70年全米女子オープンを除いて、
実に338試合(2試合は棄権)、3日間乃至4日間
闘い続けてきたわけだ。

 高校時代、陸上部ハードルの選手から転向。
中村寅吉門下に弟子入り。
猛練習の末、体力不足をカバーする
独自の「スエー打法」を確立。
後年米ツアーに参戦した時は、
ぴたり磁石のように戻るスウィングということで
マグネティックスウィングと称された。

 女子プロ草創期のたった一人の
牽引者だといっても過言ではない。

 米女子ツアーにも参戦。
77年にはアジア人初のメージャー制覇(全米女子プロ)。
すごいのは米ツアーに参戦しながら、
その年には日本女子オープン、日本女子プロも
獲っていることだ。
74年豪州女子オープン、76年欧州女子オープンも勝って、
3大陸制覇。国内では69勝。計72勝。

 常勝・樋口だったからこそ、たかが予選落ちという出来事が、
スポーツ紙にもデカデカと載るほどの価値があったのである。
 
 
■樋口久子
(ひぐち・ひさこ、1945年~)
高校1年まで陸上部ハードルの選手だったが、姉が務めていた砧ゴルフ場でゴルフと出会い、卒業後、プロ界の大御所・中村寅吉門下生に。67年第1回女子プロテストに合格。翌年、日本女子プロに22歳で勝って以来、国内で69勝。独特の「スエー打法」で(米国ではマグネティックスウィング)世界の試合に参戦。米女子ツアーでは念願のメジャー、全米女子プロに優勝。現在に至るまで、日本ではただ一人のメジャータイトリスト。海外3勝、国内と合わせて72勝の金字塔を打ち立てた。03年、アジア人初の世界ゴルフ殿堂入り。04年から日本女子プロ協会会長。

 

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