名手・達人の言葉

2006.10.04

このパッティングフォームを、石膏で固めてとっておきたいよ。尾崎将司

1971年デビュー以来、実に国内112勝、
マネーランク1位は12回(73年ツアー以降)と
空前絶後の成績を残しているジャンボ尾崎だが、
いま振り返ると途中深刻なスランプに陥いっている。

賞金順位でみると、81年28位、82年16位、
83年はちょっと盛り返し6位だが、84年19位と沈む。

85年からは序々にランクをあげて
98年までにまさに第2次黄金時代を築くのだが、
この言葉が発せられたのは不調まっただなかの82年、
関東オープンに勝ったときだ。

尾崎の言辞には当意即妙、表現力があり、
ユーモアのセンスにあふれていて、
マスコミも試合後のインタビューはいつも楽しみにしていた。
見出しになる言辞をいつも発してくれたものだ。

スランプの自分を
「下向きの尾崎ではなく、ひたむきの尾崎をお見せします」
などともいっていた。

この年、ずっとパッティングに悩み、
やっと自分がしっくりするパットができ、
優勝したあとの記者会見で、冒頭の言葉を吐いたのである。

どっと湧く記者たち。
尾崎流のジョークだったが、300ヤード飛ばす男が、
1メートルのパットに四苦八苦する
ゴルフの不可思議さの真理をも衝いていたからこそ、
当時トーナメントを追っていた筆者の心にひっかかっていたといえる。

しかし考えて見ると、
ジャンボがこの大会に勝ったのはたったの6ヶ月ぶりで、
それだけ勝たないことが、当時は試合のたびに
≪ニュース≫になっていたのだから、
その強さがどれだけだったか想像できるだろう。

 
■尾崎将司
(おざき・まさし、1947年~)
1947年、徳島県に生まれる。幼年時から野球に熱中し、海南高では投手、4番バッターで甲子園選抜で優勝。卒業後プロ野球・西鉄ライオンズに入団するも、芽が出ず、プロゴルファーへ転進。70年プロテスト合格。そこから天賦の才能は花開き、遅咲きのライバル青木功とともに、日本のトーナメント隆盛の礎をつくった。05年10月の段階で勝利数113(海外1回)。賞金王になること12回。国内では圧倒的な数字を残している。何より驚かされるのは79年から7年ほど不振に陥ったが、そこから復活し、再び尾崎時代を出現させた。世界のスポーツ界でも稀有のことであろう。ただ画竜点睛を欠くのは、青木功が米ツアーで活躍し、殿堂入りを果たしたのに対し、海外参戦へは消極的であったことだろう。

 

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