名手・達人の言葉

2005.08.24

左手はハンドル、右手がアクセル  ――戸田藤一郎

スウィングにおいて、両手の役割は昔からさまざまにいわれてきた。鬼才「トイチ」といわれた戸田藤一郎は右手至上主義だった。

「器用で力のある右手を使わんで、なんで飛ぶもんかいな! 左手はそえとくだけでいいんや」が口ぐせでもあった。

165センチと小柄だったが、右手をつかったそのスウィングで、パーシモン時代300ヤードを飛ばしたこともある。全盛時代のジャンボ尾崎が不調になり、戸田に教えを乞うたこともあったほど。

戸田のもうひとつの武器はパンチショット。向かい風のなか3番アイアンで、10メートルも上がらない低い球で200ヤードも飛ばし「永遠に落ちない矢」と表現した人もある。

今も残っているスウィング写真は、インパクトの直前までクラブは『溜まって』ほとんど地面に垂直になっている。

そして戸田のすごいところは、選手寿命の長かったことである。19歳で関西オープンに優勝し、その38年後、なんと57歳で同大会を勝っているのだ。

人生の足跡もまた異色だ。女に溺れ、大酒をくらい、黒シャツ、黒ズボン、黒サングラスで試合に臨んだ。練習は深夜。練習するのを人に見られたくなかったのだ。

名門廣野ゴルフ倶楽部にいたとき、メンバーのクラブを売り払って追放されたこともある無頼派。最後のときを迎えたときは京都の蕎麦屋の親父であった。

 

■戸田藤一郎
(1914~1984)
10歳から甲南GCのキャデイとして働きながら、見よう見真似でゴルフを覚える。廣野GCが創立されるとそこへ移る。18歳でプロの資格を得ると19歳で初優勝。35年渡米、全米オープンに出場。W・ヘーゲンの回顧録に、日本からきた6人のなかで素質抜群、外国勢のなかでも最極上と記されている。39年日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロを獲り、同年グランドスラムを達成。圧巻だったのは63年の日本オープン。25年ぶりの2勝目だった。71年57歳で関西オープン7回目の優勝。38年の長きにわたって第一線にいたことになる。

ゴルフコラムTOPへ戻る

ゴルフ名言集へ ≫≪ ゴルフコラムTOPへ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

運営会社 | プライバシーポリシー